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女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

誰の言うとおりにするのか?

自分そだて。 ひとのこころ

人のこころは、とても不思議です。

 

 

どうして、自分を傷つけるひとの言うとおりにしようとするのでしょう?

どうして、自分を傷つけるひとに、未だに気に入られようとするのでしょう?

 

どうして、自分を傷つけるひとに、さらに、自分の傷を広げるようなことを

 

させておくのでしょう?

 

 

どうしてですか?

 

 

自立する、というのは、何も経済的なことだけを

 

言うのではありません。

 

精神的に自立すること。

 

それによって、「自分で考えて、決めて行動して、その責任をとる」

 

ことが、できるようになるのでしょう。

 

 

 

精神的に自立していないひとは

 

大人になっても、まだ、誰かの目を気にしている。

 

その「誰か」こそ、ずっと自分のことを、傷つけてきたひとだとしても。

 

「まさか、自分はその人に大事にされてないはずがない」

 

そう、信じて、確認せずに、精査せずに

 

「わたしは、もちろん、大事にされてきたよね」

 

だから、もっとがんばれば、もっと大事にされてる、と

 

感じられるはずだ、と

 

まさか、自分が傷つけられてきたとは、疑いもせず

 

ただ、違和感や、虚無感に苛まれながらも

 

まだ、頑張るのです。

 

 

 

そうやって、頑張ってきたおかげで、もちろん

 

身についたことはたくさんあるでしょう。

 

資格を取ったり、料理がうまくなったり、仕事で昇進したり

 

他人からある評価をもらえたり、人からいい人だね、と言われたり

 

いろいろ、周りは固めることはできてきたかもしれません。

 

 

 

ですが、どうでしょう?

 

あなたのど真ん中に、大きな穴が空いていませんか?

 

誰かに、その穴に手をつっこませて、

 

さらにそれを広げさせてませんか?

 

その穴を、見ないことにして、さらにがんばることで

 

どうにかなる、って思ってませんか?

 

 

 

穴は、あってもいいのです。

 

この記事を読んでください。

 

comuron47.hatenablog.com

 

 

 

けれども、穴を他人によって、そのいつも同じひとによって

 

まだ、大きくさせることを、許してるのは、まぎれもない

 

自分なのではないでしょうか?

 

 

 

頑張ってるひとほど、見ないようにしていることがある。

 

ような気がします。

 

もちろん、そこをもう、とっくに通り抜けてしまい

 

純粋にがんばって、いろんな活躍をしている方もいるのは

 

承知しています。

 

 

 

 

そうではなく、何かの不安や、欠損感、虚無感、違和感から

 

頑張りを辞められないひとは

 

一度、止まって、みてみましょう。

 

いったい、誰があなたの穴に、手を突っ込んで

 

さらにその穴を広げようとしているのか?

 

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いろんな人がいるのです。

 

私にも、まだ、わかりません。

 

だけど、想像してなかった類いのひともまだまだ、いるのです。

 

知らないで、そのままいくのか、

 

ちょっと点検してみて、自分のど真ん中をながめてみるのか。

 

ながめていたら、とんでもないものが目に入ってしまった。

 

たとえば、実は自分は大事にされてこなかった。

 

たとえば、自分は正当に認められずにここまで無視されてきた。

 

たとえば、自分はずっと鎧で固めて、誰からも触れられないように

 

誰にも自分の本当のこころの内を見せずにきた。

 

それでもいいじゃないですか。

 

そこから、すべては始まると思うのです。

 

 

自分で精神的に自立できてないな。

 

いまだに、誰かの言うことを聞こうとしてるな。

 

そして、今よりもっとがんばれば、もう少しは

 

よくなれるかもしれないな。

 

そんな風に思う方は、どうぞ、一旦ここで

 

立ち止まって、ど真ん中の穴がなぜ、空いているのか?

 

そこを、点検してみましょう。

 

それを知ること、それがなんでそうなったのか知ることだけでも、

 

最初はショックだったとしても

 

でも人は自分の脳で理解したことは

 

段々と、時間をかけても変わっていくものです。

 

 

 

ずうっと、違和感、虚無感、無力感を抱えたまんま

 

わたしを生きるのですか?

 

それは、わたし、ではありませんね。

 

どうぞ、静かに自分をみる時間を作ってください。

 

本当に癒される、というのは、ある部分、

 

その穴の理由がわかったことによる

 

わたしは思います。

 

 

 

 

人の目が気になる理由

自分そだて。

人の目が気になるひとはたくさんいますし 

 

むしろ、人の目をまったく気にしないひとはいないのでは

 

ないでしょうか?

 

ただ、人の目が気になるあまり、

 

したいこともせずに、我慢して

 

正しさを求め、正解を求め、成果を求め

 

人から認められる人生を歩もうとすればするほど

 

それは「自分らしさ」からはどんどん、遠ざかっていくでしょう。

 

 

 

いったい、自分はどんな風に生きたいんだろう?

 

それについて、自分で考えることだ、と思います。

 

別に、どんな生き方だっていいんです。

 

チャンスは、みんな同じように、時間として与えられているのですから。

 

 

 

さて、何かにトライしたいけど、一歩が踏み出せない。

 

これはよくあることですね。

 

一歩が踏み出せない理由は、いくらでも添加できます。

 

けれど、大きな理由の一つは、「人の目が気になるから」ですよね?

 

トライしてみて、中途半端で終わったらどうしよう?

 

成果が出なかったらどうしよう?

 

何の役にも立たなかったらどうしよう?

 

迷惑かけたらどうしよう?

 

すべて人の目ですね?

 

 

 

自分がやってみたいことに本気でトライしたら

 

そこに中途半端とか、成果とか、役に立つとか、迷惑とか

 

そんなこと、気にならないはずです。

 

どこかで、他人からの目線を気にしてるから

 

そういう理由を添付してみて、やらない理由にしますね。

 

 

 

別にいいんです。

 

みんなに時間というチャンスは与えられ

 

その中でどう生きるか?は自分次第なのですから。

 

 

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そして、さあ!やってみよう!と始めてから

 

人の目が気になってる人もいるんですね。

 

それは、もう、「集中力のなさ」としか言いようがないですね。

 

集中力がなければ、この後どのように展開していけばいいのか?

 

道すら見えてこなければ

 

やってるのに、進んでないような気がして焦ったり

 

空回りするでしょう。

 

「没頭する」時期がにないと、何をやっても

 

それは一つのかたちに仕上げることはできません。

 

「これだ」と自分で決めたのなら、

 

脇目も降らず、人の目なんてどうだっていいのです。

 

没頭して、やり切ること。

 

その結果、どんな作品になってようと、それは自分で

 

満足がいくはずです。

 

 

 

集中力のなさによって、結局また、ぼわんと広がってしまい

 

何をしてたのか、わからなくなってしまうのです。

 

 

 

同じ時間を与えられているのに、もったいないな、と

 

思います。

 

どうして、そんなに人の目を気にして、その自分の力を

 

思いっきり、試さないのでしょうか?

 

大分、昔に、一度は諦めていたことを、

 

今一度、チャレンジしてみないのでしょうか?

 

自分の本当の望みがあるのに、

 

なかったことにしようとするのでしょうか?

 

 

 

「私は弱い人なんです」

 

「私は汚い人なんです」

 

そう、自分のことを、きちんと言えるひとは

 

「自分は弱くない」「自分は汚くなんかない」と

 

認めない人よりは、よほど、強くて、美しいのですよ。

 

そこを、自分でもっと、自信を持つことです。

 

弱くても、汚くても、やればいい。

 

やってみて、やりながら、その中で最善をその都度探す方法。

 

これが、何より、与えられた時間を、自分らしく使っていく

 

良い方法なんじゃないかな?と私は今のところ、感じています。

 

 

 

がんばってください。

 

 

60歳を前にして、大きなチャンレジをしようとしている

 

読者さんへ向けて、応援の記事でした。

 

 

 

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今思う、自由ということ。

自分そだて。

自由についてこの数ヶ月でまた

 

一つ、考え方が加わった部分があったので、今日は

 

それを、メルマガ読者さんとのやり取りを含めて

 

シェアしたいと思います。 

 

 

 

メルマガ読者さんの中にはリアルの患者さんもいらして

 

これまで、私は患者さんと数ヶ月かけて内面の細かい変化を

 

丁寧に追えた経験はまだ数が多くないため

 

私にとっても、自分の書いている文章だけでどのような変化が

 

患者さんの心に、そして生き方に影響を及ぼしていくのか?

 

それを見せていただけることは、とてもありがたいことです。

 

 

 

さて、自由というと、よく聞かれるのは

 

◎時間

 

◎お金

 

◎健康

 

◎人間関係

 

このような項目に分けて語られている場合が多いのでは

 

ないでしょうか?

 

確かに上の4つの面で自由が手に入ると

 

大分、いろんなことが自由にできるようになるでしょう。

 

 

 

けれども、私がこのところ感じている自由とは

 

「自分が感じる感情を自由に浮かび上がることを許せること。

 

さらにそれを、周囲の人にそういう気持ちだ、と言うことができること」

 

です。

 

 

 

メルマガに書いた「自由ってなんだろう?」の記事は

 

今から3ヶ月ほど前に書いた記事です。

 

以下、引用します。

 

 

自然は美しいですね。
そして、それらの美しいものを、注意深く観察し、
眺めるには、心配事から自由になっている必要があります。


何かの悩みや、問題、思考に囚われず、
本当に心が静かであるときだけ、
敏感に美しさを感じられます。


自由というのは、
たまたま自分が好きなことをしたり、
好きな場所に行ったり、好きなように考えることが、
自由だと言えるのでしょうか?


自立していたら、これらのことは、
いずれするでしょう。
多くの大人が自立していますが、
ほとんどが自由だといえないのではないでしょうか?


自由とは、本当は、
「恐怖や衝動がなく、安心したいという欲求がない心境」なのだと思います。

自分の人生で、良い地位が得られるのか?
親から正しいと言われるか?
世間体や伝統から外れてないだろうか? 
他人からどう思われているだろうか? 
自分の位置は普通におさまっているのだろうか?


そういったことに、
怯えていないでしょうか?


多くの人は、
安心したいのではないでしょうか?


なんてすばらしい人なんだ。
なんて美しい人だ。
なんて賢い人なんだ。
なんて人の役に立つ人だ。


安心が欲しいのでなければ、
肩書きなんか欲しがらないですよね。
肩書きは、人に「自信」や「自尊心」を与えてくれます。
多くのひとは、有名人やスゴい人になりたいのかもしれません。


そして、
「人は何かになりたい」と思った瞬間から、
自由ではなくなるのだと思います。


政治家、権力、地位。
悟ったと言われる人。
みな、「えらい人、すごい人になりたい」と思った瞬間から、
自由ではないのです。
逆に、「えらい人、すごい人になりたいという欲求で動かない人」は、
自由ですね。


そうなるためには、自分のことを、
観る必要があります。
汚いところ、醜いところ、恥ずかしいところ。
それらすべて含めて自分であり、
そこから、えらい誰かになろうとせず
ただ、見つめること。


それを理解することで、
初めて変化というものが起こり始めるのでしょう。
何かになろうとしないで、自分というものを観て、
理解すること。


その自分が私、であって、そこから何モノかになろうとしなくてもいい。 
その自分を、どう乗りこなし、どうやったら
もっと気楽だったり、ゆったりとだったり、
張り切るだったり、自分が好きなように、できるのか?


「自分のことを観る」ことをせずに、
本当の自由は手に入らないと
思いました。

 

 

この時には、私は、自由は

 

「「恐怖や衝動がなく、安心したいという欲求がない心境」なのだ」

 

「何者かになろうとせずに、そこに居ることができる状態だ」

 

書いています。

 

それはそうだ、と今も思いますが、まだそれだけでは

 

今感じる自由よりは、まだまだ、縛りがある状態です。

 

 

 

 

 

さらに、それより以前に、こんなブログも書いていました。

 

comuron47.hatenablog.com

 

 

ここでは、

 

誰の許可も、誰の承認もなく、

 

自分の「こうしたい」の思いだけを頼りに、

 

コツコツを試行錯誤しながら、重ねていく行為は、

 

それこそ、後からみたときに、

 

自分の結晶となってそこに残るものでしょう。

 

 

と書いており、

 

「こうしたい、の行為を工夫しながら積み重ねていくことだ」と書いています。

 

行為の積み重ね、それもまた、自由のためには大切ですものね。

 

 

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ここから、上の「自由ってなんだろう?」のメルマガを読んだ

 

メルマガ読者さんとのやり取りです。

 

数ヵ月の間に、そうやってモヤモヤしてばかりいる私を外側から見つめる、という事

を先生から教えていただき、実践しています。

 

私にはとても必要な自己の分析の仕方です。

この方法を知った事によって、考察ができます。

モヤモヤときたら、そこで冷静に、

自分に言い聞かせる事が少しずつですが、できるようになりました。

 

また奇妙な不安感も、コントロールできるように、

少しずつですがなってきています。

運転中にふと、気付き、があったり、掃除機をかけているとき、歩いているとき、

先生からのメルマガの内容を反復して、あ、こういう事か!

なんて気付いて、あわてて忘れないうちに、

その時、感じた事を書き留めたりしています。

 

 

…自由について、は生きている限り、私にはわかりませんが、

気持ちよく生きる旅が終わった後に、自由がくるんでしょうか。

そんな事を感じています。 

ここまで読者さんより。

 

ここから私からの返信。

 

自由について、私もどんどんリアルタイムで考え方が変わってきています。
 
 今の私にとっての自由は、自由に自分の感情が上がってくることを許せることです。
 
これはとても大きな解放感です。
 
どんな感情でも、いい。
 
しかもそれをもし、共有できる人がそこにいたのなら、
 
それほど贅沢なことはないな、と感じています。
 
お金、時間、健康の自由というのもありますが、
 
精神に足かせがついていたら、いくらそれらが手に入っても、
 
自由だなぁ、とは心から思えないのではないでしょうか?

 

 

お金、時間、健康、人間関係で自由を手にいれたとしても、

 

自分のどんな感情でも、自然に浮上してくることを

 

許せなかったら、それは苦しいでしょう。

 

だって、いちいち感情を自分で精査して

 

「これはいい感情」「これはこの場にそぐわないから、こっちの感情で」

 

そんなことをしていたら

 

自分がいったい、誰なのか?

 

自分はいったい、何をしたいのか?

 

自分はいったい、何を感じているのか?

 

わからないのですよ。

 

 

その状態は、なってみた人でないと、分からないことだと

 

思います。

 

そして、私のブログやFacebook、メルマガを読んでいる方の多くは

 

「私っていったい、なんだろう?」と

 

自分が何か、わからなくなってしまった迷子の大人だと思っています。

 

 

 

そんな迷子になったときに、

 

「自分のどんな感情もそのまま、浮上させることを許せる」

 

それだけできたのなら、その場でかなり

 

「自由ってこれか」と思えるはずです。

 

すごく、満ち足りた気持ちになり、安心するはずです。

 

 

 

そして、自分だけでそれを味わうことができるようになったら

 

それを身近な人にも素直に少し、出してみる。

 

受入れてもらわなくてもいいから

 

「こう思う」「こう感じる」それを話してみる。

 

そのときに感じる安堵感はなんでしょう。

 

 

 

「ああ、いいんだ、こう思ってても」

 

 

 

他人からすべて受入れられる必要なんてありません。

 

でも、自分のそういう「だめだ」と思っていた感情でも

 

聞いてもらっただけで、

 

「な〜んだ、よかったんだ」って思えるはずです。

 

 

 

別に、すごい人にならなくたっていいのです。

 

別に、お金をたくさん稼いですごい家とか車とかなくてもいいです。

 

別に、自分ができない苦手なことを、

 

無理やりできるようにならなくたっていいです。

 

 

 

だけど、自分の感情だけは、自然に浮上させること

 

それだけは、人間なんだから、したほうがいいです。

 

 

 

自由っていうのは、私はそういうことだ、と今は

 

感じています。

 

これからまた、変わるでしょうけれど、今の時点で

 

わたしはかなり、自分なりの自由を感じています。

 

 

 

 

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イタいところの蓋を開けてみないと進めない。

自分そだて。

誰しもが、忘れておきたい過去や

 

もう思い出すのもイヤな出来事

 

そして、もっと深い

 

「自分は愛されていなかったのではないか」という

 

疑問を持つことすら避けたい疑い。

 

これらに蓋をしたまま、

 

ポジティブに、前向きに、すべてを赦し、前に進むことは

 

私はできないだろうな、と思っています。

 

 

 

すべては自分の経験からです。

 

 

 

どうして、思い出したくないことを思い出したり

 

認めたくない事を、受容しなければならないのか?

 

というと、それはそこの蓋の中に

 

「そういう感情を持ったらいけない」という感情が

 

隠されたまんまになって、腐っているからです。

 

そして、現在進行形で生きてく中で、起こる出来事によって

 

刺激をうけてトラウマのように

 

その感情はその度に頭をもたげるでしょう。

 

 

 

というか、きっと感情は構って欲しいのだと思います。

 

 

 

だから、同じような人と付き合い、

 

同じような仕事を続け

 

同じように対人関係で悩み

 

同じように子育てでずっと悩む。

 

何度でも、同じような体験を繰り返すのです。

 

 

 

ほら、いっつも同じ感情で苦しんでるでしょう?

 

 

 

だからこそ、一旦、自分がどうしてそういう感情を

 

繰り返し持つのか?

 

根っこを見る必要があるということです。

 

 

 

私は、他人に対して、そして出来事に対して

 

あまりに「怒ることを避けて」きました。

 

嫌なことがあっても、仏教的な考え方や

 

美輪明宏さんの本などから得た知識でもって

 

自分の感情よりも、それを赦すことを優先してきました。

 

 

 

その結果、どうなったのか?というと

 

やはり、きちんと感情は「ねえ〜。思い出してよ」と

 

声をかけてくるのです。

 

無視していたことは、段々と分かりやすい出来事で

 

アピールしてきます。

 

「これでもか」となってから、ようやく、私は

 

自分が赦してはいけないことを、赦すことによって

 

自分を随分と痛め付け、傷つけ続けてきたのだな、ということが

 

やっと分かったのです。

 

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どうしたか?というと、

 

とにかく、うじうじ、ねとねと、悶々と

 

そのべったりと自分に張り付いた感情と向き合いました。

 

「向き合う」というのは、その感情と戦ったり、打ち消そうとすることでは

 

ありません。

 

ただ、ドロドロと溢れてくるその感情について

 

自分で味わうだけです。

 

 

 

 

「今さら、何をそんなに怒って、可笑しいよ。」

 

「いつまで、そのことについて、考えてるつもり?」

 

どこかで、自分がそう、言っています。

 

「もう、いいじゃない、済んだことだし」

 

身近にいる人が、そう言います。

 

 

 

 

だけど、私はしつこく、その感情と向き合って

 

ああでもない、こうでもない、とその時の自分の感情を

 

ありありと、思い出したのです。

 

 

 

思い出すと、辛いです。

 

見たくなかったことだって、ありました。

 

イヤだし、虚しいし、悲しいし、怒るし。

 

 

 

だけど、誰にも邪魔をされないときに、その作業を

 

ずっと続けました。

 

 

 

「赦さない」

 

 

 

それでいいのだ、と私はやっと思えました。

 

 

 

普通は、「赦してあげなさい」ですよね?

 

でも、そうじゃないのです。

 

「相手に悪意がなく」それが成されていて

 

それによって自分が傷ついたときは

 

「相手が反省していたら」それは、赦すこともしてもいいのでしょう。

 

 

 

 

けれども、「相手に悪意があって」、あるいは「意図的に」

 

それが成されており、自分が傷ついたのなら

 

それは「赦さない」それくらいがいいのだ、と

 

私の結論です。

 

 

 

けれども、私たちは前に進みたい。

 

いつまでも、そんなことに足を引っ張られたくない。

 

どうするのか?というと

 

その感情は、味わい尽くしたら、そっと手を放すのです。

 

感情は手放すことができます。

 

それは、緻密に思い出し、味わい尽くしたからこそ

 

できることです。

 

 

 

よく、中途半端に「癒し」を求めて

 

簡単に手放したがる人がいます。

 

けれども、自分を癒したいのなら、

 

「無視され続けてきたその感情」と十分に自分が向き合うこと。

 

それでしか、感情を手放し、自分を癒すことは

 

できないのではないかな?と私は自分でその経過を味わってみて

 

思ったことです。

 

 

 

十分に受容し、味わってから手放した感情は、

 

もう、戻ってきません。

 

そして、「赦さない」ことについてもまったく罪悪感がありません。

 

 

 

自分らしく生きるためには

 

自分を守る術が必要です。

 

誰も、自分を隅々まで癒したり、満足がいくように認めてくれたり

 

あるいは、思い通りに愛してくれたり、なんて

 

してくれないのです。

 

それをするのは、自分自身だ、ということです。

 

 

 

私は今まで、あまりに簡単に怒らないことと、赦すことを

 

し過ぎた結果、自分の感情を無視し

 

抑えつけて

 

「上の空の心の穏やかさ」を身につけて

 

自分自身を随分傷つけました。

 

だからこそ、今、もし、辛い方がおられるのなら

 

このブログに書いた経過を、ご自身で体験してみてもらいたいです。

 

 

 

まずは、思い出したくもない出来事や

 

認めたくない事実を受容する覚悟があるのかどうか?

 

気を落ち着けて、それはやることです。

 

ノートに書き出す、メモにとる、日記をつける。

 

出てくる感情をまずは、眺めてあげてください。

 

ずっと、「ねえねえ」って待ってたのですから。

 

 

 

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子育てですることは、この1つ。

自分そだて。 子育て

明けましておめでとうございます。

 

暮れから身の回りを整理したり、自分の中身を整理したりして

 

過ごしました。

 

寝正月というのも、とてもいいものですね。w

 

 

 

生きていると、神様のテストがやってきて

 

「これでわかる?」と聞いてくるのです。

 

自分がそれについて答えが分からない、気がつかないと

 

「ねえ、これでもわからない?」と、もう少し衝撃を強くしたり

 

刺激を強くして、テストがくるのです。

 

それでも、まだ気がつかないと、テストの問題は

 

段々、分かりやすく、衝撃が強くなってきます。

 

 

 

「いい加減、気がつこうよ」

 

「いい加減、そこ、見ようよ」

 

そう言われているのですね。

 

 

 

私も、そういうことがまだまだ、たくさん起こります。

 

 

 

さて、そんなテストの中での気づきを今日は一つ、書いてみようと思います。

 

 

 

子育てをしていて、大事なことを一つ選ぶとしたら。

 

 

 

それは、子どもがどんな感情を抱くことも許すこと。

 

 

 

たとえば、親がよく自分のエゴで

 

ああしなさい、こうしなさい、とルールを決めて

 

子どもの生活を決めてやらせることはよくあることです。

 

それは、子どもの行動を制限していますし、

 

それに対して子どもは抵抗するかもしれないし

 

抵抗するのを諦めて、そのルールの中で行動していくかもしれません。

 

 

それは、行動は目に見えることなので、わかることです。

 

やった、やらないが。

 

 

一方で、子どもの感情を縛る、ということがどんなことか

 

想像がつきますか?

 

 

 

たとえば、子どもに行動の制限を与えたときに

 

子どもはとてもそれがイヤで

 

「なんで、そんなことさせるんだよ!!」と怒りが湧いたとします。

 

そんなときに、親がこう言うのです。

 

「親の気持ちもわからないで、どうして私がそうやって

 

ルールを決めてるか、あなたには分からないの?!」と

 

子どもに罪悪感を抱かせる言い方をして、

 

「あなたが、怒りという感情を抱くことは、間違えである」

 

植え付けるのです。

 

子どもに罪悪感を持たせて「怒った自分が悪かった」と思わせるのです。

 

 

 

あるいは、子どもが成長していく過程の中で

 

社会でいろんな親以外の人と接するようになれば

 

「自分のお母さんは、実はこんなところがあるんじゃないか?」と

 

嫌悪感を抱くときだってあるのが自然でしょう。

 

それを、察した親が

 

「あなた、お母さんがあなたのためを思って

 

どんなに毎日苦労してるのか、わかってるの?!」と責め立てて

 

子どもに罪悪感を抱かせる。

 

「お母さんのことを、そんな風に思うなんて、信じられない。

 

あなたは、何もわかってない!!」と。

 

 

 

すると、お母さんに自由に嫌悪感も抱けなかった子どもは

 

「私が間違っていたんだ」と罪悪感を持つ。

 

 

 

そうやって、自分に自然に湧いてきた感情を

 

親によって罪悪感を持たされ、「そういう感情を抱くことは間違えである」と

 

日々、植え付けられていくと、その子どもはどうなると思いますか?

 

 

 

感情、精神まで操作するということは、もちろんその手前では

 

行動の操作は安易なので、されてるはずです。

 

 

 

 

自分の行動、感情、精神を、

 

親の期待通りに自分でコントロールしなければならない子ども。

 

 

 

「空っぽなひと」ができあがります。

 

 

 

「空っぽ」というのは、社会に出たときに知識がないとか

 

生活ができない、とかではありません。

 

むしろ、知識は豊富になっているかもしれません。

 

途中で、自分の行動を決めてやること、自分の感情、精神を使って生きることを

 

諦めてしまった子どもは、安楽に、

 

すべて親の言いなり

 

身近な人の言いなりになっていればいい、

 

そうなります。

 

 

 

自分の魂がなくなった「空っぽ」です。

 

 

 

そうなると、どうなるか?というと

 

自分がない、空っぽなので、

 

何をするにも決定することができません。

 

誰かに聞いたり、相談しないと、決めることができません。

 

あるいは、モラル、ルール、一般常識、世間体、

 

そういうものに従って生きることで自分を支えるしかありません。

 

そして、自分の感情。

 

これがどんなものなのか、わからなくなっています。

 

なので、「こういう場面でどんな感情を抱けばいいのだろうか?」と

 

正解を探し、それに最も近そうな感情を抱くことで

 

生きるのです。

 

それがどういうことなのか、わかりますか?

 

心からうれしい、悲しい、よろこび、怒り、愛する、

 

そういうことが、わからないのですよ。

 

 

それほど辛いことはない、と私は思います。

 

 

そして、「他人のことを信頼する」ことはできません。

 

なぜなら、「自分が空っぽ」なのだから「自分がわからない」

 

「自分がわからない」ことすら、「わからない」です。

 

気がつきません。

 

「空っぽなひと」は、自分で決めたり、感じたりすることができないので

 

どうするか?というと、周りのひとを道具にします。

 

 

 

大事なことを決めてもらうための道具

 

褒めてもらうための道具

 

認めてもらうための道具

 

言いなりさせて気持ちよくなるための道具

 

イライラをぶつけるための道具

 

甘えるための道具

 

自分が偉いんだ、と感じるための道具

 

相手の優れたところと自分と一体化させて、優越感を感じるための道具

 

よい親を演じるための道具

 

よい上司を演じるための道具

 

 

 

異常だと思うかもしれませんが、

 

果たして自分はどうでしょうか?

 

よくよく、自分を振り返ってみて

 

他人のことを道具にしてないかどうか?

 

他人というのは、家族を含めて、です。

 

 

 

本来、健全な人間関係とは

 

感じるままにそこにいることが許され

 

思うことを言葉は選べど言うことができ

 

感情を表現することができ

 

共に何かを成し遂げていくことに喜びを感じる

 

相手の弱みさえも、その人としてみることができる

 

そんな関係ではないでしょうか?

 

そこに、相手を自分の道具として使うなんてことは

 

一ミリ足りとも混ざってきません。

 

 

 

一方で「空っぽのひとたちの集団」というのは

 

その中の人と人との組み合わせによって

 

その都度、そこでの道具としての役目がある。

 

本人達は気がついてないだけです。

 

パワーによって、モラルによって、常識によって自分を守りながら

 

表面は綺麗に保ちつつそれをしています。

 

だから、道具としてしかひと付き合いができないのだから

 

信頼する

 

愛する

 

そういう感情を抱くことすらできません。

 

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自分の子どもがどんな感情を抱こうとも

 

それは成長し、親のもとから飛び立つ、自立をするためには

 

通らなければならない道です。

 

親に対する違和感(自分との差異)、

 

親の過干渉がうっとうしくなる、

 

そういう部分が子どもにとって大きくなるから

 

親元をそろそろ離れて、自分の足で立とうとする。

 

 

 

そういう自然な成長過程での感情を

 

子どもに罪悪感を持たせることで、感情までコントロールしてしまう。

 

それは、子どもを壊していう行為であって

 

子育てではありません。

 

 

 

親だって子育てに自信がないわけで

 

子どもに自分の欠点、弱点を指摘されたり

 

「おかあさんは、ほんとはこうなんじゃないの?」と

 

問われることに、怖さはあるに決まっています。

 

でも、親だって人間であり、親だって生きてる限り未熟だからこそ

 

成長するために生きているのではないでしょうか?

 

そこを、「親だから」といって頭ごなしに子どもは間違ってる、わかってない

 

そう決めつけて、生きてる限り、パワーで子どもを押さえ付ける意味は

 

なんでしょうか?

 

子どもはいつまでたっても自立できないばかりか

 

「空っぽ」です。

 

 

 

生きているということを、ありありと感じられるのは

 

ああ、いま、うれしい

 

ああ、いま、かなしい

 

ああ、いま、愛おしい

 

ああ、いま、ムカついた

 

そう、リアルタイムで自分が思うことを許せることだ、と

 

私は思っています。

 

それだけで、人は「生きてる」と実感することができます。

 

 

 

 

お金がいくら稼げた

 

仕事で何が成功した

 

子どもがどこどこ大学に受かった

 

そんなことで、「生きている」と実感などできません。

 

それはあっても一過性の刺激であって

 

自分の内側から染み渡り、滲み出てくるもではないでしょう。

 

 

 

親が子育てですることは、

 

「ありのままの感情を抱いていいんだよ」

 

そう、安心して、どんな感情を持ったっていいし

 

どんなことをチャレンジして失敗したっていいし

 

いいんだよ、生きてれば。

 

 

 

そういうメッセージを子どもに伝え、心に抱かせることだ

 

私は、そう思っています。

 

不完全な親です。

 

だけど、日々生きてるし、自分にウソをつかずにやっています。

 

それを見ていてある時期に子どもは巣立つだろうし

 

いずれ自分が親になったときに

 

「そういうことだったのか」と理解する時も来るかもしれないし

 

来ないかもしれない。

 

親の「わかってもらいたい」が子どもにとって毒になることもある、

 

ということです。

 

 

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子育てに悩むときこそ、自分のことをする。

子育て 自分そだて。

子育てというのは、どうしたらうまくいくのか?

 

一つの答えがない、最たるものなのだと思います。

 

一つ一つの家庭がまず、違う。

 

親の組み合わせ、そして、先祖代々続くあれこれ。

 

その中に生まれてくる新しい命。

 

 

 

大きなうねりが、家族というものにはあるような

 

そんな気がしています。

 

そこにやってきた新しい命をどう育てるのか?

 

それは、解答があるはずがないのです。

 

 

 

でも、私は常々書いているのは

 

「自分はこのまま生きていていいんだ」

 

この気持ちをまずは、持つことができたのなら

 

その生まれた命は、自分できちんと生きていくことができる成人に

 

なれるでしょう。

 

 

 

けれども、中には親の規制や縛りがきつく

 

「そのままでいい」が持てないまま、成長した子どももいます。

 

 

 

そうなると、自立してもよい年頃になっても

 

親から離れられない。

 

そういう風になってみて、親は「どうしたらいいんだろう」と

 

気がつくことだってあるのですね。

 

 

 

私は生きていればいつからでも、真剣に取り組めば

 

良い方向へ行くことはできる、と信じています。

 

だから、こういう話をブログにも書いています。

 

 

 

子どもが生まれて、必死に子育てをしてきて

 

「あれ、どうも、どこか自分は間違っていたかもしれない」

 

そう、親が気がついたとき、親はどうしたらいいでしょうか?

 

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よくあるケースは、その時から必死になって

 

時間を取り戻すべく、焦って、すぐに成果が出るように

 

また、子どもに取り憑いてしまうことです。

 

だけど、子どもにとっては、それは過酷です。

 

「間違ってた!こっちだったから、あなたも、こういうやり方で

 

がんばって生きなさい!ほら!できるでしょ!」

 

 

 

それは無理なのです。

 

子どもにも、人格があります。

 

「ある家族」の中で、一番弱い立場で生まれてきて

 

その家族の中でどうにか、自分の安全、安心を求めて

 

生きてきたのです。

 

それなのに「間違ってたから、その考えじゃなくて、こっち」と

 

急に言われたところで、それまで形成してきた人格があるので

 

「それをやめて」ということがまず、できませんね。

 

 

 

これまで作ってきた人格だと、生きづらいから

 

そこを訂正していく。

 

「こういう風にしていったら、楽になれるよ」

 

そういうことです。

 

人格は消すことはできません。

 

いま、ある人格が、培ってきたものです。

 

(ここでは、人格を幼少時になくしてしまったひとのことは、

前提が違うので書きません)

 

 

 

子育てに悩むとき、親がすることは

 

私は「親自身が生き直すこと」だと思っています。

 

子どもは親の鏡です。

 

子どもがどうもおかしいときは、親のどこかがおかしいのです。

 

これを書くと、ヒステリーになってしまう人がいるかもしれませんが、

 

意地悪とか、そういうことで書いているのではないので

 

読みたくないひとは、ここで読むのをやめてくださいね。

 

 

 

子どもがおかしいな、と思うときに

 

子どもに必死に取り憑いてしまうことで

 

余計に子どもは、必死にそれに対処せねばならなくなります。

 

さらに、苦しめることになります。

 

子どもが苦しそうなら、親が自分を生き直す。

 

親が、まず、どうしたら自分の生き方が楽になるか?を考えて

 

自分からまず、楽になる。

 

 

 

楽になる、という言葉に恐れがあるひとは

 

「自分は誰かのために生きてこその自分だ」という信念を持って

 

生きてきたからです。

 

「自分はがんばってなければ、だめなんだ」

 

そういう考え方のままで、子育てをすると、

 

子育てをがんばってしまう。家族をがんばってしまう。

 

「これこれ、こういうのが、理想の家族だよね」

 

しあわせのかたちって、こうだよね」

 

「しあわせな家族って、誰がこうして、彼はこうして、わたしはこうして」

 

永遠と、それを求めて固執してしまい、

 

結果、弱い子どもにひずみがいくのです。

 

 

だからこそ、子どもの様子がおかしいな、というときこそ

 

「親が自分を生き直して、楽になる」

 

そこに勇気を持つことです。

 

 

 

「こうじゃないと、私はいけない」と思っていたことを

 

やめるというのは勇気がいることです。

 

でも、「それを消せ」ではないのです。

 

「がんばることをやめろ」ではなくて、そのやり方を、

 

そのベクトルを、ちょっと変えてみましょう、ということです。

 

頑張るのがいけないわけはありません。

 

 

そこに、新しくエッセンスを加えるのです。

 

そのエッセンスが何なのか?を自分で探すのです。

 

自分が辛かったら、そこにエッセンスを加えて、楽になる。

 

その違いがわかりますか?

 

「こんな自分じゃ、だめだ!」じゃないのです。

 

 

 

そのようにして、様子がおかしい子どもに注目するのではなく、

 

「あれ、私のどこか、無理があるのかな?」と

 

親が自分を見直してみる。

 

無理があったら、そこをちょっと訂正しつつ、

 

楽になる。

 

楽になったら、自然と空気が変わります。

 

空気が変わればそこに生息している子どもだって、変わります。

 

 

 

それにかかる時間は、おかしくなるまでかかった時間と同じくらい

 

かけるつもりで、気長にやることです。

 

 

 

子育てに正解はないからこそ

 

試行錯誤しながら、ムキにならず、ゆるやかに観察をして

 

時間をかけて生きてる限り、見守っていく。

 

それくらいが、いいのではないかな?と思います。

 

 

 

親のエゴほど、毒になるものはない。

 

でも、親のエゴがゼロのひとなんて、いない。

 

いないけど、それを知ってるか、無意識なのか?

 

そこに大きな差があると私は思います。

 

 

 

 

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「自分勝手じゃないひと」なんているのだろうか?

自分そだて。

「アイツはほんとに自分勝手だから」 

 

「子どもがいるくせに、ほんと自分勝手なママだね」

 

「よく、自分勝手なことばっかりするよね」

 

そう、話している人たちの顔をみてみましょう。 

 

どうですか? 

 

 

 

 

眉間にシワを寄せ、目は釣り上がり、

 

キョロキョロと周りの視線を気にしながら

 

口を曲げて、顔の左右のバランスは崩れた状態で

 

最悪のオーラを放ちながら集っています。 

 

人はひとりでは、誰かのことを「自分勝手」とは

 

言わないようです。 

 

 

 

同じことで我慢している人たちが集ると

 

そこを我慢してない誰かについて

 

「あの人って自分勝手だよね」と言うのです。

 

まるで、自分たちは正義の何かみたいに。

 

まるで、自分たちのおかげでこの世はうまく廻ってるかのように。

 

まるで、自分たちは自分勝手なんかじゃない、と声高に叫ぶように。

 

 

 

けれども、何かを我慢してイライラとして

 

不機嫌なオーラと、不機嫌な顔を

 

周りにまき散らしている行為そのものも、

 

自分で勝手にそうしてるのではないのだろうか?

 

 

 

「何でも我慢しないで、やればいい」と言いたいのでありません。

 

自分が我慢していることを、他人が我慢してないからといって

 

それを自分勝手だ、と批判することは意味がない、と

 

言いたいのです。

 

そんなにそれが辛いのなら、

 

それを我慢しなくていい工夫をすればいいこと。

 

だけど、それをせずに、我慢してない人のことを

 

「自分勝手だよね!」と批判するのは、ばからしい。

 

 

 

なぜ、自分はそれを我慢してることを選んでるのか?

 

どうしたら、もう少し楽になるのか?

 

楽になる行為ができない自分はいったい、何に罪悪感を感じているのか?

 

いったい、誰の許可を得なければならない、と思っているのか?

 

いったい、どこの誰が

 

自分のことを見張ってる、と思っているのか?

 

 

 

それらを、考えてみて、じゃあ、こうしてみよう、と

 

自分で勝手にもう少しでも楽になればいいのに。

 

 

 

自分勝手になりたくない、と言うけれど

 

じゃあ、今、こうしてブログを読んでるのだって

 

自分で勝手に読んでいるのではないですか?

 

 

 

おかしいのです。

 

自分勝手、自分勝手、ってみんなで縛り合って

 

いったい、どうしたいのでしょう?

 

暗黙のルールに従わせたいのか、

 

誰かだけ抜け駆けして楽するのがゆるせないのか?

 

 

 

けれども、人の人生は人のもの。

 

自分の人生だって自分の思い通りになんてなるはずがない。

 

そんな中で、自分で考えて、決めて、そこに責任を持って

 

取り組むのなら、他人がなにをしたって、口出しなんてできない。

 

子どもじゃない。

 

子どもだって、自分でこうしたい、試したい、をやって失敗しながら

 

学んでいくのに。

 

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偽善的になっているひとは、まさか、自分が

 

そんなつもりで言っているなんて、思いもしない。気がつかない。

 

「あなたのためを思って」と言い張ります。

 

けれども、相手からみたら、心の奥が透けてみえてしまうのです。

 

「あなたのためを思って」は「自分のために言ってるだけですよ」。

 

 

 

「あなたのため」ほど、暴力的なことはないし、

 

「あなたのため」ほど、人を傷つけることはない。

 

やってる本人は、気持ちがいいから、それに気がつかない。

 

 

 

は自分のために行為する、自分のために言う。

 

だからこそ、真剣になるし、自分を裏切らないようにがんばる。

 

その結果、他人のためになったり、

 

他人にそれが伝わったときに、ヒントになるかもしれない。

 

はなから、人のため、あなたのため、と

 

言うから傲慢になるのでしょう。

 

 

 

 

「自分のために、やっているのだよ」

 

そこを認めていたら、謙虚な気持ちは忘れないでしょう。

 

えらそうに、他人にアドバイスなんてしません。

 

 

 

今年もいよいよ、残り少なくなりましたが、

 

一年間、走りつづけて、いま、ここです。

 

誰がなんと言おうと、私は自分がどうやって一年を過ごしてきたのか?

 

ごまかさずに、わかっているし、見てきました。

 

良いところも、悪いところも、嬉しいことも、悲しいことも、

 

怒ったことも、笑ったことも、全部、見てきました。

 

結果、いま、ここにいます。

 

それ以上でも、それ以下でもありません。

 

ただ、それだけなのです。

 

来年の目標もありません。

 

でも、一つわかっていることは、来年もまた、

 

自分をごまかさずに、淡々と走るだろうな、ということだけです。

 

自分のために。

 

自分勝手に。

 

自分が勝手に決めて、それを引き受けて人は生きていくものだと思います。

 

死ぬときになっても、それがどうだったか?

 

自分ではきっと、わからないんじゃないかな?と思います。

 

残されたひとが、どうだったか、自由に語ってくれるでしょう。

 

 

 

「自分勝手だ!」「自分勝手だ!」

 

眉間にシワを寄せ、目は釣り上がり、

 

キョロキョロと周りの視線を気にしながら

 

口を曲げて、顔の左右のバランスは崩れた状態で

 

最悪のオーラを放ちながら集っているひとたちとは、

 

少なくとも、人生を終えるまで、二度と関わることはないでしょう。

 

 

 

生きてれば、いろいろあります。

 

でも、人を攻撃する必要がないことこそ、

 

一番穏やかな心の状態だと思います。

 

人から攻撃されるのは、もちろんイヤだけど、

 

するよりはされてるのなら、まだ、かわすこともできます。

 

誰かを恨む、誰かを攻撃する、

 

これは大変な労力です。

 

 

 

 

本当に苦労が身に付いている人は、

 

苦しみがなかなか消えないことをわかっています。

 

自分から苦しみを人前にさらすこともしなければ、

 

長く引きずろうともしません。

 

苦しみから多くを学んでいるから、人に優しく接することも

 

できるのでしょう。

 

 

 

今年も、いろんな方と巡り合わせでご一緒させていただき、

 

本当にその方々が、どこかでその方らしく、善く生きてくださるように

 

そのようにいつも、祈るようにしています。

 

他にどうして欲しい、こうなって欲しいなんて

 

願っても仕方ありませんもの。

 

心から、そう思っています。

 

信じようが信じまいが、それも人それぞれ。

 

それでいいし、それがいい、と思います。

 

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