女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

つよい心を持つための3つの方法

つよい心を持ちたい。 

 

そう思うことがありますか? 

 

でも、人はあっちへふらふら、こっちへふらふらするものです。 

生まれてから死ぬまで、”初心貫徹”することもないのではないでしょうか? 

 

それでも、 

人が生きていたら 

「もう少し自分の心がつよければ良かったのにな」 

 

そう思う場面もでてきますね。 

 

そんなときのヒントとして 

3つの方法をご紹介します。 

 

相手の話を聞き流す、聞きはしても受け流す 

 

ひとが生きるというのは、ひとりきりで存在できるわけでもなく 

ひとと人との人間関係の中にいるから 

生きているということ、自分ということがわかるのですね。  

 

人間関係というのは 

一番悩みの原因にもなるのだと思います。 

 

マジメなひと、優しいひと、思いやりのあるひとほど 

悩みます。 

 

そしてそういうひとは 

素直に、人の話すことを聞いてあげます。

 

そしてそれを真に受けて、 

「傷ついた」

「ひどい目にあった」

「もう、やりたかったことをやるのはやめた」 

 

それでは、良くないのです。 

 

人が話すことは聞いてあげても、 

それを受け取るかどうか?は自分で選んでいいのです。 

 

「ほら、これ食べていいよ」って 

人のうんちとかを渡されても、 

それ、食べないですよね?? 

 

それと同じです。 

引き取れない話は、 

うんちだと思って、流してあげてください。

 

次回、そのような場面があったら 

「あ、うんちだ」 

そう思ってくださいね。

 

 

②ぶれてもいい、矛盾してもいい 

 

ほとんどの人は 

「決めたことはやらなければならない」

「言ったこともやらないのは、ろくな人間になれない」

 

そう思っているのではないでしょうか?

 

まあ、肩の力を抜いてください。 

 

「一度いったことは、やってみてイヤだったら

さっさとやめてもいいのです」

 

がんばってみて、やってみて、 

嫌なら、誰のためにそれを続ける必要があるのでしょうね。 

 

自分と闘いたいのなら、気がすむまでやる。 

 

やってみて、気がすんだら、次にいったら何故いけないのでしょう???

 

「言った手前、引き下がれない」

 

いいえ、人生は時間が決まっているのです。

 

誰に言ったのかは、知りませんが、

さっさと引き下がり、次へ。 

 

「前言ってたことと矛盾してるじゃないか!!」

 

いいえ、ひとの経験は連続です。

今、話していることは、前言っていたことを包括しているのです。

人の生き様は、分断されているのではなく

すべて連続しているのです。 

 

たとえ、前言っていたことと表面上矛盾していたとしても

そのひとは、それを経験し、それを含めて次の話をしているのだから

矛盾はしていません。

 
 
③泥沼に入ることを怖れない
 
 
生きていれば、いろんなことが起こります。 
「う〜そ〜で〜しょ〜〜〜」ということも。 
 
ですが、そこで固まったらいけません。 
そこで、こわばったらいけません。 
 
人は泥沼にはまったときこそ、 
泥沼の中にいても、そこでくつろぐのです。 
 
 
くつろごうと、努力する。 
ちからを抜く。 
その中にどっぷりと、つかるのです。
 
 
うつ病などのつらい状態を経験した方など、 
「もう、あれは二度といやだ」と  
泥沼に行かないように、行かないように 
ポジティブに生きようとしますが、 
それは返ってよくないと思います。 
 
ひとの心身はこわばると、言うことをきかなくなります。 
 
自然体でいいのです。 
 
泥沼にまたつかったら、それはそこでまた 
くつろぐのです。 
 
泥沼の中で、リラックスしていいのです。 
バタバタ、パシャパシャと 
そこからいち早く脱出しようと 
もがく必要は、まったくありません。 
 
 
なぜなら、 
くつろいでいるうちに、 
そこから脱出する時期がくれば 
勝手に浮上するし、勝手に足が抜けるからです。 
 
 
もがけばもがくほど 
どんどん深みにはまるのですから。
 
 
それは本当です。 
待っていていいのですよ。 
 
わたしがそれは、経験済みなのと 
患者さんも、行ったり来たりはあっても 
泥沼につかりっぱなしは、できませんでした。 
 
 
まとめると
 
自信なんかなくてもいいです。 
すごいひとである必要もなければ、 
何かを成し遂げる必要もありません。 
 
そのひとが一番光るのは 
自然体で、そこにいるときです。
 
泥沼につかってようが 
きらきらした湖面に立っていようが 
そのひとがリラックスして呼吸し、
立っていたら、
それだけで十分きれいだし、そのひとらしいな、と
わたしは思います。