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女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

結婚と家族

終末医療、高齢者医療に携わっていると、 

 

”家族ってなんだろう”と考えさせられる場面が 

 

結構あった。 

 

 

「嫁なんだから、義理の親の世話をして当たり前」

 

結婚して、嫁になると親の世話をするものだ。

 

これは、結婚というのは

 

家族になったのと同時に、

 

「他人に、今までなかった新しい役目を与え、

 

そして、誰かが誰かを所有するもの」

 

そのようにもみえた。

 

 

「嫁さん(このような呼び名も、わたしは鳥肌が立つ)が

 

親の世話をしないのはなんて身勝手なんだ!」

 

そう、外来でこぼしていく高齢者もいた。

 

 

 

あるいは

 

畑仕事が生き甲斐だったおばあちゃんと、嫁の折り合いが悪すぎて、

 

とうとう、嫁がおばあさんの畑仕事を取り上げてしまった。
 

「道路渡って畑に行くのが危ないから」という理由をつけて。

 

で、その生き甲斐をなくしたおばあちゃんは

 

あっと言う間に認知症になり、

 

ついでに胃がんになって、

 

施設に入った。

 

 

そして、わたしはそこに往診に定期的に出向いた。

 

おばあちゃんは、わたしのことが分からくなっていたけど、

 

施設の若い職員さんたちに、

 

それはそれは親切にされ、

 

わたしは「あの嫁のところにいるより、よほど幸せなんじゃないか」

 

枕元には、先に亡くなった夫と息子の写真が置いてあった。

 

 

 

家族という名の下で、

 

嫁のところで過ごすよりも、

 

施設にいる職員さんのほうが

 

よほど、”家族”の関係があるようにみえた。

 

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兄弟のいざこざもイヤというほどみた。

 

「長男のくせに、カネを出さない」とか

 

「妹のくせに、口出しして、うるさい」とか。

 

 

わたしは、結婚して家族になるものだと思っていたけど、

 

「結婚したから、家族になるわけじゃない」と

 

思うようになった。

 

 

 

結婚していても、

 

ぶっこわれてる家族は

 

そこら中に溢れている。

 

 

現に、わたしだってそう。

 

 

 

 

結婚しました。

 

婚姻届を出しました。

 

はい、家族できあがり!

 

そして、「家族なんだから」という理由で

 

どれだけお互いを縛り合い、

 

役割を押し付け合い、

 

身勝手だとののしり合い。

 

わたしは、イヤというほどみてきました。

 

 

 

家族というのは

 

固定したかたまりの単位じゃないと思う。

 

「わたしはこのひとを大切にしたい」

 

そういう意志がある者同士の

 

「合宿生活」のようなものなのでは?

 

 

ゼロから、ゆっくりと

 

作り上げていく、特別な人間関係。

 

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新しい家族のかたちがあると思う。

 

 

付き合いの浅さ、深さ、が様々にあるのが前提で

 

「こういうときはこの人に頼れる」

 

「こういうときはこの人に相談しよう」

 

これからは、

 

このように、人と人がより、創造的に

 

家族っていう関係をつくってくのではないか?と思います。

 

 

子育ても含め、

 

いろんな大人が子どもの前にいることは

 

親のガチガチの固定観念を押し付けることから守り、

 

また、

 

「こんな大人がいてもいい」という様々なサンプルもみられる。

 

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少なくとも、

 

「家族なんだから」というプレッシャーや縛りのもとで

 

しあわせな関係は築けないと思う。

 

 

わたしは、希望をもって

 

それを模索しているところです。

 

 

生き様は自分の最期に現れるっていうのを

 

たくさんみてきて、

 

わたしの最期には

 

少なくとも、婚姻関係に頼った

 

義務的な何かじゃなく、

 

こころから、見守ってくれる人だけが

 

そこにいたら、

 

それがいいな、と思っています。

 

 

 

死に際に

 

家族の在り方が

 

全部、ライトアップされます。