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女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

子育ては、自分越えだ。

子育てをしてると、

 

「え〜!それやっちゃうの?」ということを

 

子どもたちがするのです。

 

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例えば、今日みたいな休みの日の創作活動では、

 

バームクーヘンを一回崩して、

 

手で練って、かたちをつくり、

 

そこにチョコレートでコーティングをしています。

 

できません、うまく。 

 

机の上はめちゃくちゃ、ベタベタ、

 

床もボロボロ。 

 

 

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わたしは、そういうのが、ダメな家で育ちました。 

 

なので、「そんなに勝手に散らかしたらいけない」って

 

思っています。

 

 

 

なのに、子どもたちは、大はしゃぎ、大騒ぎで

 

楽しげに、散らかしまくって

 

なにか、作っています。

 

いきいき、のびのびしています。

 

 

 

わたしは、それをみて、

 

「もう、ほんとやだ」って思います。

 

ですが、

 

” 子どもをわたしのコピーにしない " 

 

そう決めているので

 

「ほんと、やだ」という自分と

 

「コピーにしない」という親のわたし。

 

その2つが闘います。

 

 

 

 

いつもそうです。

 

 

 

子どもたちは、勝手なことばっかりします。

 

「また、やってる」という自分と、

 

「まあ、やりたいんだから、やらせてやろう」という親のわたし。

 

 

 

日々、毎回、闘っています。

 

 

 

それで、それを「まあ、いいや」と越えていくと、

 

わたしがになるのです。

 

 

 

わたしが、やったらいけない、と思ってきたことは

 

本当はやってもよかったんだ。

 

 

 

そう知ることは、

 

私自身がとても楽になることなのです。

 

 

 

子育てをしていて、

 

" ざわざわする " ことがあるのは、

 

それは「それはやっちゃだめなんだよ〜!」っていう

 

学級委員的な、おりこうさんな自分がそう言ってるんです。

 

 

 

 

でもその、" ざわざわすること " は

 

実は、「わたしがやりたかったことなんだ」

 

と思うようになりました。

 

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わたしだって、

 

勝手に、好きに、散らかしっぱなしで

 

次々に思うつくままに、

 

やりたい。

 

 

片付けなんかしなくたっていいじゃない。

 

 

食べたいものを、食べたいよ。

 

 

おかしな組み合わせだって、自分で着たいものを着てご機嫌がいいよ。

 

 

髪型は好きに決めたいよ。

 

 

そういうのことを、

 

子どもが目の前で、じゃんじゃんやってくれると、

 

わたしは「まあ、いいじゃん」と乗り越える。

 

よいしょっと、乗り越えるんです。

 

 

 

 

そうすると、

 

わたしも、例えば台所を毎回きれいに片付けなくても

 

自分がイヤにならないのです。

 

太ったって、揚げせんべいをおいしく食べるのです。

 

好きな服装で、街を出歩けるのです。(きちんとしてない服でも)

 

 

 

大人になってからでも、

 

いつからでも、

 

楽になれるんです。

 

 

それって、すごいことだな、と

 

最近、自分の周りにできた" 余白 " を眺めながら、

 

しみじみ思っています。

 

 

 

子育ては、

 

リアルでは、その散らかった机や床を掃除するのはわたしでも、

 

それよりもっと、良いもんを

 

くれます。子どもたちが。

 

 

 

目の前で自由きままに勝手なことをしてくれて、

 

わたしも、そっちへ連れて行ってくれます。

 

ひょいっと、わたしは自分を越えていきます。

 

 

毎日が、あたらいしのです。

 

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わたしが子どもに言わないようにしてることばがあります。

comuron47.hatenablog.com