女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

闘ってないと気が済まないひと。

私もずっと何かと闘っていました。 

 

いつもがんばっていないと。 

 

いつも努力していなければ。 

  

未来の何かに向かってそうすることで 

 

今の自分が救われるって。

 

そこにはいない、誰かと闘っていました。

 

 

 

誰かに勝とうとする生き方。

 

何かの行動をするときに、

 

人より上位にならなければ

 
気が済まないひと。 
 
” 人に勝つことを目的 ”にするように日々を過ごしていたら、
 
どうなるのでしょうか? 
 
 
 
たとえば、
 
旦那さんは出世などしなくていい、と思っているのに、
 
「なんで、あなたは同期でも部長になってる人がいるのに!」と
 
怒ってみたり。 
 
 
たとえば、
 
子どものお受験で、子どもの実力をみないで
 
有名校に入れようと必死になったり。 
 
 
 
たとえば、
 
お金にゆとりがなくても、 
 
見た目だけは負けない!と
 
ファッション、車にお金をかけたり。 
 
 

たとえば、
 
仲間との議論で、
 
どうしても相手を論破して、
 
自分の方が上だと認めさせなければ気が済まない。 
 
 

こうなってしまうと、
 
「はやくしないきゃ!」
 
「もう!じれったいな!」
 
「すぐやらなきゃよ!」
 
と、常に何かに追われているような、
 
気持ちにまったくゆとりがなくなってしまいますね。 
 
自分にも、周りにいる人にも。 
 
 
 
 
そして、何より本人はとても辛い。 
 
 いつも眉間にシワを寄せ、
 
目を吊り上げて。 
 
 
 
「だって、当たり前でしょ!」
 
「私がこんなに頑張ってるのに!!」 
 
そう。 
  
そうですよね。 
 
 

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何のために生きるのか?


ここで、ひとつ。
 
「生きるための目的」と
 
「生きるための手段」 
 
この2つを混同しないことです。
 
 
 
出世、有名校にはいる、見た目が良い、知識を蓄える。 
 
これらは、すべて
 
「生きるための手段」です。 
 
 

出世、有名校にはいる、見た目が良い、知識を蓄える。
 
これらを叶えたら、  
 
確かにそれなりの見返り、はあるでしょう。 
 
それをがんばって押し進めたら。
 
でも、これをしたからといって
 
「生きる目的」は果たされません。
 
 
 
大切なことは、 
 
「それ(出世、有名校にはいる、見た目が良い、知識を蓄える)を求めることを
 
誰のためにしているのかな?」と
 
考えてみることです。 
 
  

結局のところ、
 
「あなたのために、こう言ってあげてるのよ!」と口では言っても、 
 
結局「自分のために」そう言ってるのだ、
 
そこに気がつくことだと思います。 
 
 
 
そして、自分が行動するにしても
 
誰かに勝たなくても、” 生きる目的 " を意識したら、
 
闘ってたのが、馬鹿みたいだな、と
 
肩のちからも抜けませんか?
 
 


「生きる目的」は なんでしょう?
 
 自分らしく、楽しく、心は自由に、
 
そして
 
「人のためになにかをする」ことではないでしょうか? 
 
 
 
手段は、目的にはならないのですね。
 

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まとめると 
 

焦って「人に勝つ」ことばかりに
 
気がとられていると.....。
 
 
 
子どものかわいらしさや無邪気さ。
 
家族とのふざけた会話。
 
友達との他愛ないおしゃべりの中での笑い。
 
好きな服をきる楽しみ。
 
ひとりでホッと過ごす時間。
 
 

こういったことは見落とし、 
 
そして、「そういう楽しみがあったんだ」ということすら
 
すっかり忘れてしまいますね。
 
 
 
いつもいつも、焦ってるのに、がんばってるのに
 
「なんでいつも、わたしは物足りないし、満たされないの?」
 
そういう気持ちで生きることになるでしょう。 
 
 


やっぱり一日の終わりには、
 
「今日も楽しかった、充実していた。」 
 
「ひとつ、今日もひとつ、学びがあったな。」 
 
そういう実感をしみじみ持てることが、 
 
日々のよろこびだと思うのです。
 
 
 
そして、その積み重ねが
 
結果、「自分らしく生きる」ことになるのだと
 
思っています。
 
 
闘わなくても、だいじょうぶ。
 
目的なんて、そんな大層なもんじゃなくたっていい。
 
肩のちからを抜きましょう。