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女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

いつからでも、何度でも。

70歳を越えた患者さんもいらっしゃる。 

 

奥さんが具合が悪くなり、

 

その歳になって初めて家事をするようになったと。

 

 

「やってみると、大変なんですね」と

 

ピーラーで指を怪我してやってきた。 

 

毎日、家事、日々の暮らしは繰り返されるから。

 

 

歳をとってから、そのように

 

「自分がやるようになるとは思ってなかったこと」をするようになるとき、

 

二種類のひとに分けられる。

 

 

一つ目は

 

「なんで、この歳になってまで、こんなことをしないといけないんだ!」と

 

文句をいったり、怒っているひと。

 

 

 

二つ目は

 

なぜ?という怒りはなく、淡々とそれを繰り返す。

 

諦めは少しはあるかもしれないけれど、

 

暗さはない。

 

そして、そういう人は気づきがある。

 

「あ〜、あのとき、こんな風に言ってしまったことがあったな」

 

「あ〜、毎日こんなに大変だったんだ」

 

そういう親しい人に対する、

 

償いにも似た何かを感じる。

 

だから、それに気づいたひとは、淡々とそれをするんだろうと思う。

 

 

 

そして、それを繰り返すうちに、

 

” 現役時代とは違ったものに、やりがいを感じるようになる" ようだ。 

 

つまり、

 

現役のときは、" 昇進、昇級、何かを成し遂げる "

 

そういった” 外側に向けた評価 "に趣きを置いていた。  

 

外側の評価には家族は入っていないのだろう。

 

 

 

そして現役を引退すると、「自分は役に立たなくなった」と

 

一時感じる時期が、誰にでもあると思う。

 

 

 

だけど、そこから気づくひとは

 

家事、孫の世話、庭そうじetc.

 

現役のときには「自分がそんなことをすることになるとは」と思っていたことでも、

 

それをすることで、

 

「自分がこういうこと(家事、孫の世話など)でも役に立っている」

 

そういう新しいやりがいを見つけるんではないかと。

 

 

 

外側に向けていたものを

 

内側に向ける。

 

 

 

そして、それらを淡々とやることで、

 

自分の内側を磨くようになる。

 

わたしはそういう歳をとった人たちをみて、

 

磨かれていると、思った。

 

 

 

若い時の自己受容は、インチキでも通用するけど、

 

歳をとってからの自己受容は、ホンモノでないと通用しない。

 

 

 

幾つになっても、自分の現状を、自分のことを受け入れ、

 

自分の内側を磨き続けるひと

 

みていて、希望があるし、

 

そして私はそういう人をとても尊敬する。

 

 

 

” そういう姿を周りにみせている "、というだけで、

 

生きてる理由がものすごくある、と思う。

 

 

 

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ひとは

 

いつからでも、何度でも、

 

若いときには感じられなかったこと。

 

感じてても、みないふりをしてきたこと。

 

そうした方がいいと思っていても、できなかったこと。

 

そういうことに気がついて、

 

そしてそれらを、いつからでもやり直せるんだと

 

わたしは思った。

 

 

 

やり直したり、それを新しく始められるひとは

 

とても勇気があると思う。

 

怒りや、悲しみ、落胆でごまかすことだって

 

いくらでもできるに。

 

 

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「歳をとった親を許せない。」

 

「歳をとった親からまだ、愛情が欲しい。認めてもらいたい。」

 

そう思うことがあるかもしれない。

 

 

 

でも、歳をとっているからといって、

 

親は親で、若い時にはわからなかったことだって

 

あるはず。

 

そういうつもりがなくて、やっていたことだって。

 

 

それを、いつまでも恨んでも、憎んでも、

 

親だって、自分より数十年しか、長く生きてない。

 

 

歳をとったからといって、

 

すべての人に気づきがあるのか?というと、

 

そうでもないことだってある。

 

 

それは、「人間なんだから、仕方のないことだ」って

 

わたしはいろんな患者さんをみていて、

 

思います。

 

 

 

何より、

 

” 幾つになっても、何度でも

 

やり直したり、塗り替えたりしている人だって

 

たくさんいるんだ "っていうことは、

 

まだ40年ほどしか生きてないわたしなんか、

 

いくらでもこれから、まだ、磨くことができるっていう

 

希望がもてた。

 

 

 

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どこからみても整っているひとより、わたしは、こう思います。

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