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女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

先に信じること。

人間関係において

 

大切なことは

 

先にこちらから相手を信じることです。

 

親子、夫婦、友人、職場のひとたち。

 

すべての人に対して

 

こちらから先に信じること。

 

 

 

たとえば、子どもは小さなウソをたくさんつきますね。

 

それについて

 

いちいち言い直させたり、

 

「それは違う」と指摘したりして

 

「嘘つきよばわり」しないのです。

 

 

 

 

「いつだって信じている」という押しつけでもなく、

 

「当たり前に信じてる」ということが

 

相手に伝わることが大切です。

 

 

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なぜひとのことを信じられないのか?

 

それは

 

自分のことを信じていないからです。

 

 

 

自分のことを疑っている。

 

「わたしなんて、そんなすごくない」

 

「わたしに、そんなことできるはずない」

 

「わたしには、それを得る価値なんてない」

 

そのようにして

 

常に自分のことを疑っているから

 

自分のことを信じていないから、

 

周りにいる他のひとのことなんて

 

信じられるはずありませんね。

 

 

 

奪われると思ってませんか?

 

世の中、

 

損得で動いたり、考えたりするひとが

 

とても多いようにみうけられます。

 

損得っていうのは

 

お金や地位や、人脈など、のことをいうのでしょう。

 

 

自分にとって「得になるひとのことは信じる」

 

こういうのは

 

相手を信頼しているのではなく、

 

「相手を利用しようとしている」

 

「自分に欠けた部分を相手を用いて補おうとしている」行為です。

 

 

 

自分にとって「損するひとのことは、はなから相手にしない」

 

なぜなら、

 

何かを奪われると思って、

 

自分で何かを握りしめてるから。

 

 

 

 

じゃあ、病院にきている患者さんが

 

貧困でお金が払えそうになければ

 

診療しない、

 

言ってることを信じない、

 

こういうことにもなりますね。

 

いいのでしょうか?

 

 

ママ友でも

 

交友関係が広そうなお友達とは仲良くなろうとして、

 

いつもひとりでいるママ友のことを遠巻きにする。

 

ほんとうはどういう人なのか?も知らぬうちから。

 

 

 

そういうひとの浅はかさをみていると

 

そのように人のことを扱おうとしてるひとは、

 

さぞ、歳をとったときにも

 

さびしい思いをするのだろうな、と。

 

 

 

他人に奪われるものなんて

 

本当にあるんでしょうか?

 

与えて奪われるものってなんでしょう?

 

奪われたと思うのは

 

最初から見返りつき、条件つきで与えるから、

 

返してもらえないと

 

奪われたと思うのでしょう。

 

 

 

 

わたしは人にお金を貸すことは、

 

しません。

 

あげることはあっても

 

貸すというのは、返ってこないというつもりで

 

することでしょう。

 

 

そして、

 

お金のやりとりがあるとその人間関係は異質なものに

 

どうしてもなっていくものだとも思っています。

 

 

だから、

 

お金はめんどうです。

 

 

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信じられてるから、相手は信じてくれる。

 

例えば

 

医者が自分の言うことを信じてなさそうにみえたら、

 

その医者のことを信頼しますか?

 

 

 

子どもは自分のことを信頼してくれてない親の言うことを

 

聞きますか?

 

親を尊敬するでしょうか?

 

 

 

これはとても大切なことだと思います。

 

 

 

先に信じて、与えること。

 

難しいことのようで

 

やってみると当たり前なことだとわかります。

 

 

こちらから、信じて手を差し伸べるのです。

 

 

 

「裏切られたらどうするの?」

 

 

相手がどうでてくるか?は

 

こちらは選んだり、決めたりすることはできません。

 

それは相手が考えて、行動すること。

 

こちら側が、相手の態度によって

 

傷ついたり、腹を立てる必要がないことです。

 

 

「損したくない」

 

「イタい目にあいたくない」

 

そう身構えて、信じているフリをしても、

 

相手には伝わります。

 

表面的だな、と。

 

余計に尊敬もされないでしょう。

 

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尊敬されたいから、信じる?

 

何があっても、

 

他人を自分の欠損を補うために

 

利用したらいけませんよね。

 

自分のことを嫌いだからといって、

 

他人にそれを埋めてもらおうなんてのは、

 

大人がすることではありません。

 

 

自分のことを尊敬したり、

 

自分のことを認めてもらいたいから、

 

子どもに、生徒に気に入られるように

 

口で何をいっても、

 

子どもには伝わります。

 

 

 

大人どうしだってそうです。

 

 

 

まとめると

 

 

先に信じて与えることは、

 

やりっぱなしです。

 

お返しとか、そんなものは

 

最初からないのです。

 

 

 

 

ですが、

 

そのちからは、ものすごく大きなちからになります。

 

相手にとっても。自分にとっても。

 

「信じられている」ということが

 

どれだけその人の勇気になるか、想像してみてください。

 

 

たった一人でも、

 

自分のことを本気で信じてくれてるひとがいる。

 

信じて、黙って見守ってくれている。

 

 

 

それだけで

 

ひとは前に進むことだって十分できるということを、

 

わたしはたくさん、みてきました。

 

 

そしてそのような人の姿をみることができたとき、

 

それは自分にとっても

 

ものすごい支えになるのです。

 

 

人を信じることができるというのは、

 

自分のことを「大丈夫だ」と本気で思っていないと

 

できないことだからです。

 

 

 

損得なんていうのは、

 

そういうことから比べたら

 

どうでもいいことだと

 

わたしは思っています。

 

比べることができないことです。

 

 

 

怖くて人なんて信じられない。

 

そうやって、ちぢこまっていたら

 

死ぬまで、そのままでしょう。

 

自分のことも信じる日は来ないでしょう。

 

 

 

どのように自分が生きるのか?は

 

自分が決めて

 

自分がその尾根を歩き続けることです。

 

 

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