女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

” あのときのこと " をいつまで 教訓にして?

あのときのこと、

 

もう、あのようなことが起こらないように 

 

それを教訓として生きなければならない。

 

 

 

 

そうやって重荷を背負ったまま、 

 

息も絶え絶え、

 

あるいは、

 

常にイライラしたり、

 

急に悲しくなったり。

 

そういう生き方をしていても

 

まったく楽しくなりません。

 

 

 

 

そういうひとは、まるで

 

「わたしは、あんなことをしてしまったのだから、

 

恥ずかしい。」と

 

いつまでも、いつまでも、

 

髪の毛が白くなるまできっと、

 

後悔して、引きずっていくのでしょう。

 

それでも、いいのです。

 

ですが、

 

ほんとうに、それでもいいですか。

 

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罪と恥

 

わたしたちは、

 

自分が過去にしたことについて

 

罪と恥を感じたことほど、

 

鮮明に、詳細に記憶しておこう、

 

二度と同じ間違いを起こさないように

 

教訓としよう。

 

そのように考える傾向にあります。

 

そして、

 

それこそが、責任をとる生き方である、と。

 

 

 

知人の女性は仕事がとてもできます。

 

ですが、

 

仕事中もいつも何か重たいベールにお覆われていて

 

「自分に落ち度がないかどうか?」に常に目を光らせているのです。

 

ですから、表情も朝から緊張と、疲労でいっぱいです。

 

そして、ちょっとした何かが起こると、

 

それは大変。

 

まるで重大な罪を犯したように

 

それの処理にあたるのです。

 

 

 

電話での口調にも、それが現れ、

 

「間違えのないように」、「相手から責められないように」

 

対応をするのです。

 

 

わたしはそれをみていて

 

「そこまで、思わなくても大丈夫なのに」といつも思っていました。

 

 

そして、そこまでする理由は、

 

「自分は責任をとるべきことがある」という

 

深い、深いところの思い込みです。

 

 

 

彼女を診察する機会があり、

 

わたしはそのことを、指摘しました。

 

 

 

「いつも、自分のことを、責め、何かを詫びる必要があるひとだ」と

 

自分のことを、思っているでしょう?

 

 

彼女はビックリして、わたしを見つめました。

 

 

図星だったのです。

 

 

 

外来なので、詳細のことまでは聴きませんでしたが、

 

恐らく、子ども時代のある出来事のことをきっかけに、

 

彼女は「自分は責められるべきひとだ」と

 

常に罪悪感を持ち、

 

今後はもう、恥ずべきことがないように、

 

仕事でも、育児、家事も、

 

「責任をもって」、完璧にこなそうと必死だったのです。

 

 

「そんなにしなくても、大丈夫」と

 

わたしは話を始めました。

 

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ラベルを剥がして良い。

 

 

多くのひとは、

 

過去に自分がした、恥ずべきこと、罪だと思えることについて

 

自分に「バツ」のラベルを貼るのです。

 

「悪」のラベルかもしれません。

 

 

 

そして、そのラベルが剥がれないようにしながら、

 

そして、ラベルの自分のことを忘れないように、

 

「いまは、だからがんばるんだ!」と

 

必死になるのです。

 

 

 

そういう風に

 

重たい荷物を背負いながら

 

日々の行動をすることで、

 

自分が気がつかないうちに

 

常に「自分をチェックして、ダメだしをする」のです。

 

 

 

それは疲れますね。

 

そして、常にダメだしをされ続けてる自分は

 

他人に、

 

こころから何かを分け与えたり、

 

こころから打ち解けたりする余裕はありません。

 

 

 

 

「恥」と「罰」を補うべくして

 

他人と関わるのは

 

ほんとうのその人ではないですね。

 

 

 

もう一つ、

 

” あのときのこと"のラベルを剥がすことで、

 

「自分が自分ではなくなってしまう」という怖れを持つのもそうだと思います。

 

 

 

 

たとえ、それが罰や恥のラベルだったとしても、

 

引きずってきたそれを剥がすことで、

 

「これからの自分はいったい、誰になるんだ?」

 

という、これまでの自分が喪失してしまうという恐怖です。

 

 

 

 

ラベルを貼っていたからこそ、の言い訳もあったはずなのです。

 

「だって、仕方ないじゃん、わたしは、こんな目にあってるんだから」

 

 

 

人生に責任を負うのほんとうの意味

 

 

自分の人生に責任を負うっていうのは、

 

自分ができること、

 

自分の可能性を、活かして、

 

まずは自分、

 

次に、身近なひとたち、

 

そしてできれば、さらにその周り、

 

そして、どんどん役に立っていくのが

 

責任を負うっていうことだとわたしは、思っています。

 

 

なのに、

 

” あのときのこと "にこだわるばかりに、

 

いつまでも「恥」と「罰」を背負い続け、

 

引きずって生きることは

 

いったい、誰の役に立てるのでしょうか?

 

 

「気持ちよく生きてないひと」の周りにいるひとへの

 

影響を考えてみたことがありますか?

 

子ども達、家族、職場のひと、友人。

 

 

 

表面的には、仕事ができたり、

 

ぬかりなく、家事や育児をしたり、

 

広い交友関係を築いていたりしても、

 

それは本当に自分の人生なのでしょうか?

 

 

 

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いったい、どうしたらよいのでしょう?

 

 

それは、

 

「今を、今から生き直していい」

 

そう、自分を許すことです。

 

自分で。

 

 

 

” あのときのこと "を、誤らなくていいのではなく、

 

” あのときのこと "を、引きずる必要がないのです。

 

 

 

今から、生き直せますか?

 

新しい自分として、生き直すことが。

 

 

 

 

その彼女は、

 

私の話を聞いて、さっそく気がつくことがあったようです。

 

 

翌週に会ったときには、

 

声のトーン、ベールに覆われていたようなどんよりとした空気も消え、

 

軽くなっていました。

 

 

他人から指摘をはっきりとしてもらったことで、

 

「罪悪感で自分を責め続けてること」をやめられたのですね。

 

たった、それだけで、

 

ひとは、変わることができます。

 

ひとが一人変わると、

 

その周りにいるひともまた、変わり始めます。

 

 

 

どちらの輪を広げたいですか?

 

気持ちのよい輪。

 

罪をつぐない合う輪。

 

 

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