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女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

誰が、牢屋に閉じ込めてるのか?

生きるっていうことが

 

どういうことなのか、

 

何なのかがわからないから、

 

きっと、

 

誰かの目を気にして、

 

誰かの評価に叶うようなら、 

 

自分の人生はまずまずオッケーなんじゃないか?と

 

思いたいのかもしれませんね。

 

 

 

身の回りにいるひとには、

 

2種類あると思います。

 

 

① 無条件に自分のことを、見守り、応援をしてくれる人たち。

 

 

 

② いつも自分のことをチェックしていて、

 

少しでも上手くいかない、失敗すると、

 

「ほれ、みたことか!」と

 

オニの首をとったかのように

 

「だから、こうしとけと、言ったはずでしょう」と

 

諭す人たち。

 

 

2種類いませんか?

 

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そして、

 

多くのひとは、

 

無条件に応援してくれてるひとの顔を忘れて、

 

ついつい、

 

自分のことを、意地悪くチェックしてくるひとの顔を

 

思い浮かべながら

 

生活しているというのも、また、

 

事実ですね。

 

 

 

なぜでしょうね。

 

 

 

どうして、応援してくれてるひとがいるのに、

 

自分が思うように生きて、

 

思うようなことをしないのでしょう?

 

 

 

人が生きるには、

 

きっとある枠のような、

 

突っ張り棒のようなものがあると、

 

それに頼れて安心なのでしょうか。

 

 

 

自由になりたい、といいながら、

 

実際には自分で好きにしないのは、

 

怖いから、

 

何もない、無条件さが

 

怖いから、

 

そういうこともあるでしょうね。

 

 

 

好きに、自由にしない言い訳、

 

自分で自分のことを牢屋に閉じ込めておく理由として、

 

自分をチェックしてくれてる人たちは、

 

まるで牢屋の監視員のような役目を果たしてくれます。

 

 

 

ほら、ダメだよ、出たら。

 

そこから出たら、危ないんだから。

 

君に、それは無理だから。

 

できるはずがないんだから。

 

 

 

そうやって、

 

牢屋にとどまるように

 

支えてくれてるのですね。

 

 

そしてそれを甘んじて受けとっているのは、

 

まぎれもない自分です。

 

 

 

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一方で、

 

無条件に応援してくれてる人っていうのは、

 

牢屋の鍵を常に開けっ放しておいてくれて、

 

いつでも出られるんだよ、と

 

ドアを開け放してくれて待っていてくれるひとたち。

 

 

 

だけど、

 

そこから出ることができるのは、

 

当の本人しかできないこと。

 

 

 

ほんとうは、

 

いつだって、牢屋のドアは開いているのです。

 

 

そこに居続けて、指をくわえてるのか、

 

さっさと出てきて、自分の責任で生きるのか?

 

 

 

選ぶのは自分です。

 

 

 

まずは、

 

自分が勝手に牢屋に入っているっていうことに、

 

気がつくところから。

 

 

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