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女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

「あのひと何考えてるか、わかんない!」ってとき。

よく、友達同士の会話で

 

「あのひと、何考えてるかわかんないよね!」って

 

そういうセリフを

 

聞きますね。 

 

 

どうして

 

「何考えてるかわかんない!」って

 

なっちゃうのかな〜って

 

考えてみました。

 

 

 

自分の価値観

 

相手のことを

 

自分の価値観に当てはめて考えたとき

 

そこからはみ出た部分については

 

「わかんない!」としたくなるんじゃないかな?? 

 

 

 

なにそれ、

 

知らない、

 

わかんない!!

 

わたしの中では常識外!

 

 

 

そんな風に

 

相手が自分の価値観の外にはみ出たときに、

 

相手のことを

 

拒絶したくなる、

 

そんな反応。

 

 

 

そうすると、

 

自分の価値観でわかる部分は

 

「わかるわかるウ〜〜〜」と同意するけど、

 

価値観に当てはまらないところは

 

「カットカットカット〜〜〜!」となるから、

 

相手は、分断されちゃう。

 

 

 

わかる部分と

 

わからない部分にわけちゃう。

 

 

 

だから、

 

結局、「わけわかんな〜い!!」

 

「理解できな〜〜い!」って

 

なっちゃうのかな。

 

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別にすべて受入れなくていい。

 

 

相手のことを知る、

 

理解することと、

 

相手のことを受入れるかどうか?は

 

別なことです。

 

 

 

だけど、

 

多くのひとは、

 

相手を知って、

 

ありのまま受入れて

 

自分でどうにかしよう。

 

 

 

そうやって張り切りすぎるのです。

 

 

 

 

だけど、

 

それはムリですよね。

 

これだけたくさんの人がいて、

 

たとえパートナーだったとしても

 

すべてをありのまま受入れて

 

愛する、ということは

 

とても難しいことです。

 

それ自体が

 

生きる目的といってもいいくらいに。

 

 

 

 

だから、

 

人のことを知る、理解するっていうのは、

 

自分の価値観を越えて

 

相手のことを聞いてあげて

 

なるほど、と思ってあげることだと思うのです。

 

 

 

 

それを

 

「それって、違うよね!」っていう

 

最初から、

 

こちらが壁を作ってしまうと、

 

相手のすべては聞けないし、

 

相手も、隠すだろうし(聞いてもらえないから)

 

結果、わかり合えない。

 

 

 

わかると、受入れるを

 

分けてみれば

 

「自分が攻撃されそう」っていう

 

怖れも、不安も、

 

減ってくと思います。

 

 

 

下心。

 

 

ひとは、誰かに何かしてもらうことが

 

大好きです。

 

人に何かしてもらうことが

 

自分が大事にされてる感が出るからでしょう。

 

 

 

愛されたい。

 

買ってもらいたい。

 

遊びに連れてってもらいたい。

 

おごってもらいたい。

 

いろいろ、

 

されたい欲求があります。

 

 

 

相手を知ろうとするときに、

 

この下心があると、

 

フラットに相手をみることは

 

できないでしょうね。

 

 

 

だって、

 

何かしてもらいたいから

 

相手の機嫌よくしてもらわないとだし、

 

嫌われないようにしないとだし、

 

だから、

 

わたしは我慢して

 

いいところだけ、聞こう、

 

よいところだけ、見よう、

 

そうするもんね!!

 

 

 

でもね。

 

いいところだけ、なんて

 

ないも〜ん。

 

やなところだって

 

誰でもある。

 

 

 

やなところを見たくないのは、

 

下心あるからでしょう。

 

自分が傷つきたくないしね。

 

 

 

それすらも

 

おおっぴらに相手をみようとすれば、

 

相手だって、みせてくれるし、

 

それに対して

 

好きも、嫌いも、善悪も言わないひとに

 

ひとは心を開きます。はじめて。

 

 

 

心を開きあったもの同士は

 

やっと初めて

 

フラットにコミュニケーションがとれるのです。

 

それまでは、

 

探り合いだし、

 

分かり合うなんてムリ。

 

探り合うためのコミュニケーションと、

 

心をひらいて自分をさらけ出すコミュニケーション。

 

 

 

別物ですね、

 

同じコミュニケーションでも。

 

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まとめると。

 

一人のひとのことを

 

丸ごと分かろうとすることは、

 

このように考えると

 

並大抵のことではないことが

 

わかります。

 

 

 

たった一人に対してこれだけの

 

労力を

 

使うのですから。

 

 

だからこそ、

 

すべての人を知ることなんてできなくていい。

 

でも、

 

この人は、という人のことは

 

心して、お互いが知り合おうとする。

 

一生かけてもいいくらいの

 

ことなんだろうな〜と

 

私は思っています。

 

 

 

そう簡単に

 

人ひとりを分かるなんて

 

できないのだから。

 

 

 

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小室朋子 

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