女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

医者になってからの葛藤;大学病院編

昨日の記事に対して、 

 

たくさんの賛同や、共感をいただき、

 

どうもありがとうございました。 

 

  

 

でも、 

 

私は、そんなにすごいのでも、

 

素晴らしいものでも

 

ないのです。

 

 

 

そこを、あまりに美化されてしまうと

 

また、違った道へ進みそうなので、

 

自分が医者になってから、

 

数々の葛藤があったことを

 

今日は書いていきます。

 

 

 

 

代々医者の家系の末っ子に生まれ

 

地域に密着した外科医の父の背をみて育ち

 

自然と私は医者になる、と

 

決めていました。

 

 

 

勉強が好きではありませんでしたが、

 

一浪した一年間

 

死ぬ気で学び(ほぼ、暗記!) 

 

家族の母校である

 

東京慈恵会医科大学へ入学することができ

 

とても誇らしかったことを

 

今でも覚えています。

 

 

 

そして、

 

晴れて研修医になり、

 

大学病院での研修が始まりました。

 

 

 

もちろん

 

「これで人を救えるのだ」と

 

意気込んでいました。

 

人を救うために

 

医者になったのだから。

 

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実際にどうだったでしょう。

 

外科系の疾患であれば

 

手術をして、回復して

 

通院も必要なくなる方も

 

多くいらっしゃいますね。

 

 

 

私は内科医です。

 

すると、どうでしょう。

 

 

 

 

大学病院ほどの病院に一度入院される方は

 

繰り返し入退院する方も多く、

 

入院するたびに

 

明らかに体力、気力も落ち、

 

退院できなくなっていく。

 

 

 

血液の病いでは

 

自分で点滴伝票を書く手が震えるほどの

 

劇薬を扱い、

 

「本当にこれで治るのか?」

 

「間違えたら、とんでもないことになる」と

 

研修医にとってはものすごい重圧を感じながら

 

過ごしました。

 

 

 

血液の病いでは

 

本当につらい治療を受けながら、

 

「先生、これをやったら、今度は治りますか?」と

 

研修医にすがる患者さん。 

 

なのに、がんばって耐えても

 

残念ながら、お亡くなりになる方が多く

 

わたしは、その時の病棟の廊下を

 

虚しく歩いたことを

 

覚えています。

 

命が儚すぎるじゃないか、と。

 

 

 

 

糖尿病内科はひどかったです。

 

何がひどかったか?というと

 

大の大人が

 

自分の食事や、生活習慣を管理できないために

 

病気になっている。

 

ひどくなって、教育入院させられ

 

そして、そこで研修医をつかまえ

 

悪態をつく。

 

 

 

 

「おまえ、研修医のブンザイで!

 

ちゃんと名前は”様つけ”で呼べ!!」なんて

 

都心の病院では

 

社長にいじめられ、泣いたこともあります。

 

 

 

あまりのひどさに

 

バカバカしくなりました。

 

 

 

「自分が悪くて病気になってるくせに

 

何、医者のせいにして

 

何、頼ってんだよ!」

 

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病院から夜の東京タワーを 

 

お腹も空いたまんま眺めて

 

ほんと、そう思っていました。

 

情けない大人だな、と。

 

社長でも、何でも、

 

何が偉いか知らんが、

 

それなら、自分の生活とその態度を

 

どうにかしてもらいたい。

 

 

 

小児科ではどうだったでしょう。 

 

気管支喘息で繰り返し入院する子の中には

 

家で親から愛情を注がれていない子がいました。

 

なので、

 

繰り返し、病院に避難するように

 

入院をする。

 

もう、退院してもよい時期になっているのに

 

親はまだ、入院させておいて欲しい、という。

 

 

 

すべての症例でそうとはいいませんが、

 

気管支喘息の子どもは

 

何かしら、環境に課題がある子どもが

 

多かったような気がします。

 

 

 

ある時は、

 

13歳の男児が救急室に喘息でやってきて

 

父親がついてきました。

 

「入院が必要です」と私が父親に説明したら

 

「おまえ、入院だっていうけど、

 

どうする?」と父親

 

「お金、あるの?」と子ども。

 

 

 

私は、その場でぶち切れ、

 

「苦しい子どもに、入院するかどうか

 

尋ねるなんて、

 

とんでもないことですよ!!」と

 

若気の至りで父親に説教をしてしまいました。

 

 

 

 

でも、

 

その子は入院をするうちに、

 

親子関係が改善し

 

すごく感謝をされました。

 

 

 

 

今でも忘れられないのは、

 

当時のわたしよりたった3歳年上の

 

婚約者もいる男性患者さんです。 

 

鎌倉のよい家で育ち、

 

いい仕事をされていました。

 

進行胃がん

 

抗がん剤治療を受けていました。

 

その身体は、もう

 

ガリガリで、元気だったころの

 

面影はなくなっていたのでしょう。 

 

 

 

長く入院されていたので、

 

研修医にもキビシく、

 

いつもお叱りを受け、

 

その患者さんのところへ行くのが

 

怖かった。 

 

歳も近い。

 

私は病状を知っている。

 

彼は、知らない。

 

 

 

何ということなんだろう。

 

私はひたすら

 

採血をして、話を聞くだけ。

 

何もできない。

 

 

話をすることも間違えたことを言うと

 

傷つけると思い、

 

聞くだけ。

 

 

 

その男性患者さんも

 

私より3年長く生きただけで

 

婚約者を残して

 

亡くなっていきました。

 

 

 

 

医者はいったい、

 

何ができるんだろう、

 

いったい、何のために

 

勉強をしてきたんだろう、と

 

苦悩しました。

 

 

 

 

まったく、救えることなんて

 

できないじゃないか!!!!!!! 

 

 

 

私が研修医になった途端に 
 
ものすごい違和感を感じたことがありました。
 
 
それは、大学へ早朝出勤すると、
 
大手薬メーカーのMRさんという
 
自社の薬をアピールする営業マンが
 
毎朝、玄関の両側に整列し、
 
「おはようございます!」と
 
不自然な笑顔で、へこへこと
 
ぺーぺーの研修医のわたしにも
 
挨拶をしてくるのです。
 
 
「なんで、ただの研修医の自分にまで、
 
媚を売るのだろう」と
 
私は思いました。
 
 
 
 
「どうしてなのか?」は働いているうちに段々と
 
わかってきました。
 
 
 
大学病院では、
 
点滴伝票や、処方箋を書くのも
 
研修医がやるようになります。
 
 
 
つまり、自社の薬を使って欲しかったら、
 
伝票をきる人間に、
 
自分と、自社の薬を覚えてもらう必要があったのです。
 
実際に、先輩医師に
 
「抗生剤は、これか、これか、これを使うように」と
 
指示をされることもありました。
 
先輩医師と、その製薬会社のMRに 
 
何がしの関係がある、ということです。
 
ゴルフや贅沢な食事、学会の時のホテル宿泊の手配、
 
そういうことをMRに
 
してもらっている、ということです。
 
 
 
 
昼の製薬会社の薬の説明会では
 
医者が喜ぶような、
 
3000円とかの高価なお弁当が配られ
 
そこで「こういうときは、この薬」と
 
教育され、刷り込まれるのです。 
 
新米のMRのプレゼンの緊張ぶりをみたら、
 
それがどんなに重要な役割を持つのか?が
 
よくわかりました。
 
 
 
 
たかだか、数千円の弁当で、
 
医者がその薬をたくさん使ってくれたら
 
その利益はものすごいものになるのですよね。
 
当時の研修医だったわたしは、
 
そこまで気がついていませんでした。
 
 
 
 
ただ、「めんどくさいけど、お弁当食べられるから」と
 
疲れたからだを、
 
昼ごはんの時間に休めていたような気がします。
 
 
 
で、そこで見事に洗脳されていたのですね。
 
 
 
 
後になって経済の歴史から現代までを
 
通して学んだときに、 
 
医療産業の流れがみえました。 
 
金の動きが見えました。
 
 
 
製薬会社と様々な医学会の重役は
 
通じている。 
 
診断基準、高血圧や、脂質異常症の診断基準は
 
人の健康のために作られたものではなく、
 
薬がなるべくたくさんの人に
 
医者によって処方されるように
 
製薬会社が作っているもので、
 
それに「これで良い」と
 
太鼓判を押しているのは
 
そういう医者の重鎮だろう。 
 
 
 
私たち、下っ端の医者たちは
 
そうやって作られた診断基準を
 
勉強もせずに、まともに信じて
 
外来にやってくる患者さんを
 
きびしい診断基準で診断して、
 
バンバン薬を処方する
 
「売り子」か。
 
 
 
医者っていうのは、いったい何だろう?
 
製薬会社の言いなりになって薬を出す、手足なのか?と。
 

 

 

そんな風に

 

いろんな葛藤を抱えながらも

 

研修医として必死に

 

検査、カルテの記載、症例検討会、

 

学会などに追われました。

 

患者さんとの対話が少なく

 

患者さんがそれに不満や不安を抱えてるな、と

 

常に感じていました。

 

わたしもまた、

 

最新の医療を追い求めて

 

病気の患者さんを検査漬けにして

 

ものすごい量の投薬をするのではなく、

 

「患者さんに寄り添いたいのだ。」

 

「私が考える医師の姿は、

 

大きな大学病院では実現されない。」

 

 

 

そう思い、

 

結婚と出産を期に

 

実家の地域密着型のクリニックへ帰りました。

 

 

 

 

ここまでが、

 

晴れて念願の医者になり、

 

人を救えると信じていた私が

 

まったくそうではなく

 

いったい、何をしてるのだろう、

 

何のために高い予備校に通わせてもらい

 

高額な学費を出してもらい

 

死ぬほど勉強して医者になったのだろう、

 

そう落胆した研修医時代のお話でした。

 

 

 

 

もちろん、

 

たくさんの忘れられない患者さんとの

 

出会いもあったのですよ。

 

 

 

ただ、今日は

 

葛藤というテーマで書いたので

 

このような内容になりました。 

 

   

 

明日は、

 

地域密着型の病床もあるクリニックで

 

看取り、外来、往診、老人施設の往診などを通じて、

 

どんなことを感じていたか?

 

その葛藤の続きを書きますね。