読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

医者になってからの葛藤:地域密着型の病院編

今日の記事は
大学病院を辞めてから
実家の地域密着型病院で働いていた頃、
5年ほど前のわたしの葛藤です。
 
 
今は、それは乗り越えていますから
感情的にもう、なることはありませんが、
この記事ではそれを赤裸々に書いています。 
 
 
「困ったらお医者さんが治してくれる」
「そのために医者はいるのだから」
 
そのようにお考えの方がお読みになると
多分、不快感を示されると思いますので
お読みにならないでくださいね。 
 
 
【閲覧注意】な記事です。
 
 
 
大学病院では、朝から晩まで、本当によく働いたし、
勉強もしたし、学会発表もしました。
 
 
でも、私は検査やカルテ記入、
教授回診や症例検討会に明け暮れるよりも
もっと患者さんと密に対話したかったのです。
 
 
大学病院にいると、患者さんも検査、検査ばかりで
加療もハード、医師も看護師もやることが多すぎて
患者さんとしっかりと向き合うというよりも
症例と向き合わざるを得ない状況だったと私は思っています。
 
 
もちろん、そのおかげで、医療発展になっている部分も
多々あるでしょう。
大学病院でしか扱えない
特殊な病気があるのも確かです。
 
 

けれども、私は

最新の医療を追い求めて

あるいは、病院の利益を考えて

病気の患者さんを検査漬けにして

ものすごい量の投薬をし、

治ってないまま次の患者のために

入院ベッドを開けようと、

不安な患者を家へ追い返す、

そういう医療がしたかったのでは

ありませんでした。

 

 

「患者さんに寄り添いたいのだ。」

「私が考える医師の姿は、

大きな大学病院では実現されない。」

「しあわせな人生はなんだ?」 

 

 

そう思い、

 結婚と出産を期に

 実家の地域密着型のクリニックへ帰りました。

 

 

高い予備校に通わせてもらい

高額な学費を出してもらい

 死ぬほど勉強して医者になり、 

 「これで人を救えるのだ!!」と意気込んだものの、

大学病院の現実に落胆した研修医時代。 

 

  

 

 

 

今度こそは、自分が思うような医療を、

患者さんに寄り添った医療を

していこう! 

そう思い、張り切っていました。

ですから、3人の子どもを生み育てながらも、

仕事を続けました。

 
 
実家のクリニックでは、
ほぼお年寄りがメインで
内科といっても、皮膚も、骨も、関節も、
全部を診ることが
求められました。
お年寄りはいちいち、
他の病院に行くのは
大変だからです。
 
 
 
そして、たまたまお勤めだった
漢方の先生にもそこで出会いました。
身体つき、生活歴、病歴、視診、
触診、脈診などを組み合わせて
患者さんを診ていく方法は、 
大学病院で満たされなかった私の
「医者だったら、
こうやって診察をきちんとして
診断をするものだ」という欲求を
満たしてくれました。 
 
 
私も、漢方薬の面白さを探求したいと思い、
都内まで定期的に
学びに出かけました。
 
 
一人の人の全体をみる。
その力を、小さなクリニックで養いたいと
思いました。
 
 

f:id:comuron47:20160618210147j:plain

 
 
外来で多くの患者さんを診ていくうちに
 
「暮らし方が、身体の症状にでている」
 
「その人の固定観念による縛りで、
身体に症状がでている」
 
「人間関係、金銭面での問題が、
ダイレクトに身体に症状がでている」
 
 
そういうことに目が向くようになりました。
 
 
分かりやすい例では
テレビの健康番組を観ては
翌日に病院にかけこみ
「先生、わたし、○○の病気じゃないか?って
心配になっちゃって」と
常に自分が病気かもしれないと
不安になってしまうひとがいます。
 
 
生きてる時間すべてが
「自分は健康なんだろうか?」という不安で
占められてしまっているのです。
 
 
 
それで実際に、不安が慢性化しているので
不眠、食欲減退、やる気不足、により
体力、気力も低下しているので
実際に不健康になっているのです。
 
 
下剤、胃薬、睡眠剤などを常用することになります。
わたしがいくら
「考え方を変えたら、薬はいらないくなるから」と言うのに
「先生、お願いだから、薬をください」と
断固として、そのままの考え方を維持するために
薬とわたしに頼りたがるのです。
 
 
わたしに
「大丈夫だから」と言われるまで
帰りません。
 
 
 
本当に外来も大変なのです。
 
 
 
見るからに健康体の男性で
毎日歩いたり、食べ物に気をつけているひとでも
ちょっとしたことが気になり
私のところにきて
「自分が大丈夫かどうか?」を確認したがります。
 
 
わたしは、わかりそうな人にはこう話します。
 
 
「○○さん、生まれてしまったということは
100%死にますから」と。
 
 
「大丈夫か?というのは、何が大丈夫ですか? 
死なないか?と私に確認したいのなら
答えは、いつか死にます、ですよ。」と。
 
 
それが理解できた人は
その後が楽になります。
 
 
死ぬことを前提に、
 
じゃあ、今日は何をしようか?
じゃあ、少しでも元気で過ごせるように、こうしよう。
時間はムダにしたくないから、
気分よく過ごそう。
 
 
そうなるのです。
 
 
でも、死を前提に生きることができる人は
まだまだ、少ないです。
 
 
死を忌み嫌い、
死をみずに
良いところだけを見たがり、
おいしいところだけ、とりたがる。
 
 
 
そして、身体の調子が悪くなると
「なんで、治せないんだ!」
自分では何も学ぼうとせず、
生活態度も改善せず、
心の持ちようも変えようとせず、
医者のせいにする。
 
 
「なんで、自分がガンで死ぬんだ!」と
医者に嘆いて、怒鳴る。
 
 
家族も
医者が悪い、
この小さな病院の設備が悪い、
使ってる薬が悪い、
カルテを見せろ、
 
 
そんなことを言うひとも
いらっしゃいます。
 
 
 
今まで長年
その心と身体を使ってきたのは
誰ですか?
どのようにそれらを
使ってきたのですか?
 
 
 
私は問いたいです。
 

f:id:comuron47:20160420065653j:plain

 

 
悪くなったから
はい、医者まかせ。
 
 
心配だから
診てくれれば安心だから。
 
 
そうやって
スーパーにでも来るように
気軽に病院にかかってるんじゃないよ。
 
 
 
大事なことも考えずに
ここまで暮らしてきて
最期になって私に押し付けないでよ。
 
 
 
人の最期には
お金
家族含めた人間関係
それらをきちんとしてこなかった人は
すべてドロドロと噴き出します。
 
 
 
そこをいきなり、直視できるはずもなく
結局、医者や病院のせいにして
すり替えるのですから
たまったものではありません。
 
 
 
 
それほど、
自分勝手な患者さんも家族も
いるものです。
 
 
 
それが人っていうものなんだな、と
私は半分、諦め
でも、どこかで
違う方法がもっとあるはずだ、と
試行錯誤をしていました。 
 
 
仏教や、アドラー心理学の本などを
大量に読み、
人の心の扱いについて
知識を身につけたのも、
どうにかして
人を理解したい、以上に
 
「自分が医者だからといって
仕事だからといって
人に振り回されたくない」 
 
「どんなときにも、
自分のこころは静かでなければ
人のことを観ることはできない」
 
そういう気持ちが大きかったです。 
 
 
それほどに、
地域密着型の病院にきても
人の死に
より自分が直接携わるようになった分、
葛藤も大きかったのです。 
 
 
それを乗り越えたおかげで
今、わたしはこうして 
このような記事が
書けるようになりました。 
よく、コツコツやったな、という
気持ちと
さあ、ここからだ、という
気持ちです。
 
 
 
 
  
こちらの記事もおススメです♡ 
 

************************** 

 

小室朋子 

Facebook

https://www.facebook.com/profile.php?id=100011666965455

 

Twitter: 

ともちん (@comuron1974) | Twitter 

 

 

ブログとはまた、少し違った感じの

ゆるめなFacebookと、

鋭めなTwitterです。

 

フォローしてくれたら嬉しいです♡