女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

私のどん底をそろそろ、書いておこう。

メルマガでも、Facebookでも、ブログでも、 

 

何でも書いているようで、書いてこなかったことがあります。 

 

私が、どうしてここまで開き直って 

 

前向きに、変化も恐れずに、肚が据わったのか?について。   

 

人にも「怖いけど、変化することをやってみなさい」と言えるのは 

 

自分もそれをやったから、言えることだと思うのです。

 

 

 

 

それは、去年の終わる頃のあの体験があったから、だと

 

思います。 

 

あれが、今のところの私のどん底だったと、思うし 

 

「あそこで、足を底に付けて、底を蹴ったな、わたし」

 

一年経って、やっと思えるようになりました。 

 

 

 

今日、たまたま、Facebookのお友達が 

 

それを思い出す写真を載せていて、 

 

「わたし、よく、がんばったな」と思ったし 

 

「後ろ一回も振り返らないで、今日まできたな」とも思いました。 

 

 

 

その体験を、書けるところまで、書いてみますね。 

 

 

 

そう、私は子どもの頃から木の家に住んで 

 

庭で小さな畑をやって、野菜を育てたり、

 

それを家族に料理してふるまって、仲良く暮らすのが 

 

夢でした。 

 

そして、医者になったけれど、家族を持つことに迷いはなく、

 

授かり婚をして、3人の子どもに恵まれました。 

 

子どもが増えていけば、家族になれる、といつも思って

 

お腹に赤ちゃんがいること、がとてもしあわせでした。 

 

夢の家も建てることができました。 

 

かたちは整っていきました。

 

でも、何かがいつも、違っていました。

 

 

私が直せること、私が違うこと、があれば

 

それを正したら、良くなるだろう、と

 

仕事や家事、子育てでてんてこ舞いだったけれど、

 

本をたくさん読んで、夫婦がうまくいくように

 

がんばりました。

 

声かけ、考え方、家族との接し方、たくさん読んで

 

実践して、どうにか、自分が思うような家族のかたちになるかと

 

がんばりました。

 

 

 

周りからみると「理想の夫婦」「雑誌から出たような夫婦」のように言われ

 

そのイメージと現実との差に苦しくなったり、

 

でも、それを維持するのが、大事なんだ、と言聞かせ、

 

誰にも話せることでもなく、

 

子どもだってかわいいし、小さいので、

 

必死でした。

 

 

 

ですが、いつしか、維持すること、自体が難しくなっていきました。

 

でも、誰にも相談できませんでした。

 

言っても「あなたのわがまま」「お母さんなんだから」

 

「他の人は、もっと大変だよ」「うちも同じだよ」という

 

解決策もなく、どんどん、私は苦しくなっていきました。

 

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山を歩くようになったのも、

 

どうにかしたい、

 

どうにか、自分が綺麗な心になれば

 

ここから抜け出せるんじゃないか?と

 

だから、必死に一年間歩き続けたのです。

 

雨の日も、雪の日も、早朝に真っ暗な中を

 

ライトを付けて、ひたすら歩きました。

 

 

 

でも、ダメでした。

 

 

 

私は、虚無感に襲われ、いったい、がんばってもムリなことは

 

どうしてなんだろう?と心が壊れていきました。

 

でも、日々の診療、子育て、家事は止まりません。

 

食べられなくなっていきました。 

 

顔にチックも出ていました。

 

でも、ごはんを作るのは辞められません。

 

子どもに心配をかけることもしたくありません。

 

患者さんはやってきます。そして、亡くなっていきます。

 

どうにかこうにか、私は、生きて、やっていました。

 

 

 

夫婦関係を解消してもらえるように話し合いを重ねましたが

 

そう簡単にはいきませんね。

 

1年以上もそれが続き、

 

ある日の出来事が起こったときに、私は

 

「この家を出よう」と決めました。

 

それは、私にとったらあり得ない選択でした。

 

「わたしの家」とそこだけはずっと、守っていた場所を

 

手放す、ということはあり得ないことでした。

 

 

 

でも、そうせざるを得ないな、ということが起こりました。 

 

 

 

家より自分。

 

子どものためには、私がこれ以上、壊れたらいけない。

 

それだけで、必死でした。

 

そして、私はその出来事の翌日の朝、

 

子ども達を学校に行かせないでおいて、

 

そっと、3人を連れて着の身着のままで、家を出ました。

 

 

 

行き先は前日に決めた高知でした。

 

なぜ、高知だったのか?は

 

昔から、高知にある「沢田マンション」は知っていて 

 

大家さんの情熱ある、家族思いな生き方にとても共感していたので、

 

いつか、住んでみたいと思っていたのはありました。

 

でも、とにかく遠くへ行かなければならない、と

 

必死だったのです。

 

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そして、子ども達と埼玉県の住む町を離れていく電車に乗ったとき、

 

ホロホロと子どもが泣き出しました。

 

私は、「本当に大丈夫なのか?」と、思いながらも

 

子ども達に「大丈夫だから、心配しないで」と慰めながら

 

空港まで行きました。

 

4人分の飛行機代を出せる自分が、その時は

 

とても頼もしい、と思ったし、がんばれ、しか

 

思えませんでした。

 

 

 

そして、飛行機に乗り、高知空港に降り立ったとき

 

山しかみえない、平地、に、子ども達と

 

何とも言えない心細さを感じたのは確かでした。

 

「こんなところまで、来ちゃった」と。 

 

 

 

それから、沢田マンションに到着し、 

 

いろいろと手続きをしていたときに大家の沢田さんと

 

お話をしていたとき

 

やっぱり、これだけのマンションを建てる人の奥さんなだけあって、

 

いろんな人がそこに入居して、たくさんの人の人生をみてきただけあって

 

おばさんは、すごかった。

 

何も言わなくても、わかってくれて

 

「とにかくゆっくり休んで」と言ってくれました。

 

 

 

沢田マンションの借りた部屋は、

 

可笑しいほどに、狭かったけど、

 

とにかく、気持ちが落ち着きました。

 

子ども達がたくましく、あっちこっち探索したりして

 

すぐに慣れて、「ここの人はやさしいね〜」と

 

大家さんの家に行ったり来たり。

 

 

 

そして、大家さんの娘さんの和子さんと私は

 

意外なほどの共通点があり、歳も近かったことがあって 

 

仲良く話もできました。

 

和子さんは、前向きだったし、明るかったけど

 

10数年前の自分の話をしてくれて、

 

「がんばって、できるから」とすごく励ましてくれて

 

芋天(サツマイモの天ぷら)を部屋まで

 

あっつあつを揚げて持ってきてくれて

 

子ども達にもふるまってくれて、

 

本当に温かかくて、ありがたかったのです。

 

あの芋天の味は、今でも忘れられないな。

 

 

 

沢田マンションには本当にいろんな人が住んでいるのが

 

空気でわかったし、 

 

高知の日曜朝市でみた、おばあちゃん達は生きていた。 

 

元気に働いていた。

 

いろんな生き方があっていいし、

 

これが正しい、とか、

 

これが勝ちとか、ではなくて、

 

「自分が良いと思える暮らし」をするのがいいんだ、と

 

そこの人々の暮らしを眺めていて、そう、思いました。 

 

 

 

 

「今度は、にっこりと笑ってここへ遊びにいらっしゃい!」

 

おばさんと和子さんに見送られ、 

 

沢田マンションを後にしました。

 

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結局、私は、高知に住むことはなく、

 

旅で終わったのだけど、

 

あの数日間はものすごく濃密であって、

 

あの時間で考えたこと、を私はその後実行しました。

 

旅から戻り、私はすぐさま再就職先を決めて

 

その日のうちに、履歴書を病院へ届けました。 

 

引っ越しを決めて、家の中の自分と子どもの荷物は

 

ほぼ、持って家を出ました。

 

あっという間の出来事でした。

 

 

 

それから、一度も後ろを振り返らずに、 

 

今日、ここにいて、

 

久しぶりに、高知に行ったこと、を思い出して

 

なんか、泣けてきたのでした。

 

「よう、やったよな」と。

 

怖くなかった、といったら、ものすごく怖かったし

 

着の身着のまま、家を出たというのは、

 

非常識と言われてもいいでしょう。

 

学校はどうしたんだ?子どものことを考えろ!と言われれば

 

そうなのでしょう。

 

 

 

 

だけど、人は必死になったときは、

 

着るものなど、どうでもいい。

 

持ち物など、どうでもいい。

 

食べ物だって、コンビニのものを食べたりしていた。

 

学校?やることも決めてない旅先での

 

動物園や、公園で遊ぶこと、城をみたこと、

 

身体動かすこと、超危険なゴーカートで遊んだこと

 

昼間っから吞ん兵衛がいる居酒屋で食べたこと、が

 

学校の学びと同じくらい、学びがありました。

 

 

 

 

何より、その旅で、私は

 

子どもを守らなければ、子どもは生きられないだろう、という

 

上下関係から

 

子どもと一緒に生きよう、と子どもを信頼する相手として

 

扱うようになった横ならびになったのです。

 

それほど、子ども達は明るかったし、たくましかったし

 

付いてきてくれました。

 

 

 

まだ、夫婦のことはスッキリはできていませんが、 

 

去年のあの日から足を止めずにここまでやってきて

 

これから、どうなっていくのか?はわかりません。

 

でも、私はどこにいても大丈夫だし

 

子ども達は育っているし

 

寝る場所があって、台所でごはんが作れて

 

今日も夕陽が綺麗で

 

これから冬になると朝日も見られるし

 

十分しあわせだな、と力が湧いてくるのです。 

  

そして、私を頼って病院に来る患者さんもいます。

 

「顔をみて、話をするだけで元気になってくれる人がいる」というのは

 

私にとっては、生き甲斐の一つだと思っています。

 

 

 

 

ブログなどで書くことはすべて自分の経験したこと、

 

診察で出会ったひとのこと、

 

それを自分のフィルターを通して、自分のことばで

 

書いています。

 

生きてきたようにしか、ことばは出てこないし、

 

これからも、私はだから、飾りをつけた自分はもう

 

いらないし、

 

人のことを勇気づけられるのは

 

沢田マンションでお世話になった和子さんやおばさんと同じです。

 

 

 

あのどん底から一年経って、

 

人の前でセミナーという形でお話ができるなんて、

 

私は、とても嬉しいですし、すべてを出そうと思っています。

 

今、あの体験を隅々まで思い出せて良かった。

 

生きてきたすべてが、私のパワーになってるな、と

 

思うのです。

 

 

11月13日(日)に

東京都内でセミナーをします。 

おかげさまで、35名満席となりました! 

 

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