女医とも子の診察室

内科医。日々の気づき、生きること。自分の人生に取り組もう。

子育てですることは、この1つ。

明けましておめでとうございます。

 

暮れから身の回りを整理したり、自分の中身を整理したりして

 

過ごしました。

 

寝正月というのも、とてもいいものですね。w

 

 

 

生きていると、神様のテストがやってきて

 

「これでわかる?」と聞いてくるのです。

 

自分がそれについて答えが分からない、気がつかないと

 

「ねえ、これでもわからない?」と、もう少し衝撃を強くしたり

 

刺激を強くして、テストがくるのです。

 

それでも、まだ気がつかないと、テストの問題は

 

段々、分かりやすく、衝撃が強くなってきます。

 

 

 

「いい加減、気がつこうよ」

 

「いい加減、そこ、見ようよ」

 

そう言われているのですね。

 

 

 

私も、そういうことがまだまだ、たくさん起こります。

 

 

 

さて、そんなテストの中での気づきを今日は一つ、書いてみようと思います。

 

 

 

子育てをしていて、大事なことを一つ選ぶとしたら。

 

 

 

それは、子どもがどんな感情を抱くことも許すこと。

 

 

 

たとえば、親がよく自分のエゴで

 

ああしなさい、こうしなさい、とルールを決めて

 

子どもの生活を決めてやらせることはよくあることです。

 

それは、子どもの行動を制限していますし、

 

それに対して子どもは抵抗するかもしれないし

 

抵抗するのを諦めて、そのルールの中で行動していくかもしれません。

 

 

それは、行動は目に見えることなので、わかることです。

 

やった、やらないが。

 

 

一方で、子どもの感情を縛る、ということがどんなことか

 

想像がつきますか?

 

 

 

たとえば、子どもに行動の制限を与えたときに

 

子どもはとてもそれがイヤで

 

「なんで、そんなことさせるんだよ!!」と怒りが湧いたとします。

 

そんなときに、親がこう言うのです。

 

「親の気持ちもわからないで、どうして私がそうやって

 

ルールを決めてるか、あなたには分からないの?!」と

 

子どもに罪悪感を抱かせる言い方をして、

 

「あなたが、怒りという感情を抱くことは、間違えである」

 

植え付けるのです。

 

子どもに罪悪感を持たせて「怒った自分が悪かった」と思わせるのです。

 

 

 

あるいは、子どもが成長していく過程の中で

 

社会でいろんな親以外の人と接するようになれば

 

「自分のお母さんは、実はこんなところがあるんじゃないか?」と

 

嫌悪感を抱くときだってあるのが自然でしょう。

 

それを、察した親が

 

「あなた、お母さんがあなたのためを思って

 

どんなに毎日苦労してるのか、わかってるの?!」と責め立てて

 

子どもに罪悪感を抱かせる。

 

「お母さんのことを、そんな風に思うなんて、信じられない。

 

あなたは、何もわかってない!!」と。

 

 

 

すると、お母さんに自由に嫌悪感も抱けなかった子どもは

 

「私が間違っていたんだ」と罪悪感を持つ。

 

 

 

そうやって、自分に自然に湧いてきた感情を

 

親によって罪悪感を持たされ、「そういう感情を抱くことは間違えである」と

 

日々、植え付けられていくと、その子どもはどうなると思いますか?

 

 

 

感情、精神まで操作するということは、もちろんその手前では

 

行動の操作は安易なので、されてるはずです。

 

 

 

 

自分の行動、感情、精神を、

 

親の期待通りに自分でコントロールしなければならない子ども。

 

 

 

「空っぽなひと」ができあがります。

 

 

 

「空っぽ」というのは、社会に出たときに知識がないとか

 

生活ができない、とかではありません。

 

むしろ、知識は豊富になっているかもしれません。

 

途中で、自分の行動を決めてやること、自分の感情、精神を使って生きることを

 

諦めてしまった子どもは、安楽に、

 

すべて親の言いなり

 

身近な人の言いなりになっていればいい、

 

そうなります。

 

 

 

自分の魂がなくなった「空っぽ」です。

 

 

 

そうなると、どうなるか?というと

 

自分がない、空っぽなので、

 

何をするにも決定することができません。

 

誰かに聞いたり、相談しないと、決めることができません。

 

あるいは、モラル、ルール、一般常識、世間体、

 

そういうものに従って生きることで自分を支えるしかありません。

 

そして、自分の感情。

 

これがどんなものなのか、わからなくなっています。

 

なので、「こういう場面でどんな感情を抱けばいいのだろうか?」と

 

正解を探し、それに最も近そうな感情を抱くことで

 

生きるのです。

 

それがどういうことなのか、わかりますか?

 

心からうれしい、悲しい、よろこび、怒り、愛する、

 

そういうことが、わからないのですよ。

 

 

それほど辛いことはない、と私は思います。

 

 

そして、「他人のことを信頼する」ことはできません。

 

なぜなら、「自分が空っぽ」なのだから「自分がわからない」

 

「自分がわからない」ことすら、「わからない」です。

 

気がつきません。

 

「空っぽなひと」は、自分で決めたり、感じたりすることができないので

 

どうするか?というと、周りのひとを道具にします。

 

 

 

大事なことを決めてもらうための道具

 

褒めてもらうための道具

 

認めてもらうための道具

 

言いなりさせて気持ちよくなるための道具

 

イライラをぶつけるための道具

 

甘えるための道具

 

自分が偉いんだ、と感じるための道具

 

相手の優れたところと自分と一体化させて、優越感を感じるための道具

 

よい親を演じるための道具

 

よい上司を演じるための道具

 

 

 

異常だと思うかもしれませんが、

 

果たして自分はどうでしょうか?

 

よくよく、自分を振り返ってみて

 

他人のことを道具にしてないかどうか?

 

他人というのは、家族を含めて、です。

 

 

 

本来、健全な人間関係とは

 

感じるままにそこにいることが許され

 

思うことを言葉は選べど言うことができ

 

感情を表現することができ

 

共に何かを成し遂げていくことに喜びを感じる

 

相手の弱みさえも、その人としてみることができる

 

そんな関係ではないでしょうか?

 

そこに、相手を自分の道具として使うなんてことは

 

一ミリ足りとも混ざってきません。

 

 

 

一方で「空っぽのひとたちの集団」というのは

 

その中の人と人との組み合わせによって

 

その都度、そこでの道具としての役目がある。

 

本人達は気がついてないだけです。

 

パワーによって、モラルによって、常識によって自分を守りながら

 

表面は綺麗に保ちつつそれをしています。

 

だから、道具としてしかひと付き合いができないのだから

 

信頼する

 

愛する

 

そういう感情を抱くことすらできません。

 

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自分の子どもがどんな感情を抱こうとも

 

それは成長し、親のもとから飛び立つ、自立をするためには

 

通らなければならない道です。

 

親に対する違和感(自分との差異)、

 

親の過干渉がうっとうしくなる、

 

そういう部分が子どもにとって大きくなるから

 

親元をそろそろ離れて、自分の足で立とうとする。

 

 

 

そういう自然な成長過程での感情を

 

子どもに罪悪感を持たせることで、感情までコントロールしてしまう。

 

それは、子どもを壊していう行為であって

 

子育てではありません。

 

 

 

親だって子育てに自信がないわけで

 

子どもに自分の欠点、弱点を指摘されたり

 

「おかあさんは、ほんとはこうなんじゃないの?」と

 

問われることに、怖さはあるに決まっています。

 

でも、親だって人間であり、親だって生きてる限り未熟だからこそ

 

成長するために生きているのではないでしょうか?

 

そこを、「親だから」といって頭ごなしに子どもは間違ってる、わかってない

 

そう決めつけて、生きてる限り、パワーで子どもを押さえ付ける意味は

 

なんでしょうか?

 

子どもはいつまでたっても自立できないばかりか

 

「空っぽ」です。

 

 

 

生きているということを、ありありと感じられるのは

 

ああ、いま、うれしい

 

ああ、いま、かなしい

 

ああ、いま、愛おしい

 

ああ、いま、ムカついた

 

そう、リアルタイムで自分が思うことを許せることだ、と

 

私は思っています。

 

それだけで、人は「生きてる」と実感することができます。

 

 

 

 

お金がいくら稼げた

 

仕事で何が成功した

 

子どもがどこどこ大学に受かった

 

そんなことで、「生きている」と実感などできません。

 

それはあっても一過性の刺激であって

 

自分の内側から染み渡り、滲み出てくるもではないでしょう。

 

 

 

親が子育てですることは、

 

「ありのままの感情を抱いていいんだよ」

 

そう、安心して、どんな感情を持ったっていいし

 

どんなことをチャレンジして失敗したっていいし

 

いいんだよ、生きてれば。

 

 

 

そういうメッセージを子どもに伝え、心に抱かせることだ

 

私は、そう思っています。

 

不完全な親です。

 

だけど、日々生きてるし、自分にウソをつかずにやっています。

 

それを見ていてある時期に子どもは巣立つだろうし

 

いずれ自分が親になったときに

 

「そういうことだったのか」と理解する時も来るかもしれないし

 

来ないかもしれない。

 

親の「わかってもらいたい」が子どもにとって毒になることもある、

 

ということです。

 

 

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